鳥取県推進の副業プロジェクト「週1副社長」 漁師直送鮮魚販売のパイオニアが出会った新たな「航路」
リモートワークもすっかり定着して、副業やプロボノで地方企業に携わりたいと考えている人、そんな人材を採用したいと求めている企業は多いのではないでしょうか。
鳥取県では、「とっとり副業・兼業プロジェクト」と銘打ち、県内の中小企業と都市部に住む人材のマッチング「鳥取県で週1副社長(以下、週1副社長)」を推進しています。
昨年、同プロジェクトで理想的な人材との出会いを果たした企業のひとつが、鳥取市賀露町で漁業を営む、株式会社弁慶丸。今回は、弁慶丸の船長である河西信明(かわにし・のぶあき)さんにマッチングの経緯や企業の変化について、「週1副社長」として2022年6月から参画した佐竹宏範(さたけ・ひろのり)さんに、仕事の内容などについてうかがいました。
漁師直送のパイオニアが、
「週1副社長」を活用した理由とは
編集部:はじめに、弁慶丸さんの事業内容について教えてください。
河西信明さん(以下、敬称略。河西):「漁師直送」「産地直送」を信条として、自社サイトだけで鮮魚を通信販売しています。日本海で水揚げした天然の魚を、あえて一切さばかずに丸ごと販売しているのが特徴です。
周りの方々からは、水産業界において、「漁師が魚を売る」という六次産業化に着手したパイオニア的存在だと言っていただいています。
編集部:現在の社員は8名(うち3名がテレワーク)とのことですが、普段のマネジメントでは、何を大切にされていますか?
河西:当社では一人ひとりが注文受付から発送作業まで、一連の流れを担当できるようにしていて、明確に役割を分けているわけではありません。ただその中でも、働いているときの表情を常に見たり、一対一で定期的にミーティングしたりして、自分に合った仕事に比重を置けるようにしています。気持ちよく働いてほしいので、自分が好きなこと、あるいは得意なことで成長させてあげたい気持ちが強いですね。
編集部:今回「週1副社長」を活用したわけですが、以前から、外部サービスの活用に積極的だったのでしょうか?
河西:そうですね。自社が苦手なことは、それを得意とする第三者に任せてしまおうという考えなんです。ひとりの人間が力を注げる時間には限界があるので、個々のスキルを最大限に生かすためにも、アウトソーシングを柔軟に活用するのがいいと思っています。
編集部:「週1副社長」で人材を募集されたということは、以前から何かお悩みを抱えておられたのですか?
河西:はい。通信販売を強化するためにWeb領域のスキルを持った方を探していたのですが、近場ではなかなか出会うことができなくて、都市部の方に委託する状況が続いていました。そんな中、コロナ禍でリモートワークが社会的に定着してきたので、遠隔地の人材を採用しやすくなって、鳥取県が推進する「週1副社長」での募集を決めました。
顔を合わせた数秒後に「この人だ」と思った
今後を見据えてSNS発信を強化
編集部:佐竹さんにお聞きします。「週1副社長」に応募して、弁慶丸さんと出会うまでの経緯を教えていただけますか?
佐竹宏範さん(以下、敬称略。佐竹):私はもともと、信州大学が実施する「信州100年企業創出プログラム」の客員研究員として、東京と長野に拠点を置きながら、長野県内の企業の課題分析や解決などに関わっていました。その中で「地方にも優秀な人材がたくさんいるし、エキサイティングな仕事も多い」と気づき、4年前に長野に引っ越したんです。
それ以降、遠方の仕事にもリモートで積極的に関わっていて、地方副業のサイトを見ていたときに目に入ったのが、弁慶丸の求人でした。「これは魅力的な仕事だ!」と、ワクワクしながら応募しました。
編集部:「週1副社長」の応募数は32名にも上ったそうですね。河西さんが佐竹さんと顔を合わせたときの第一印象は?
河西:応募者の皆さん、高いスキルや輝かしい経歴をお持ちの方ばかりでしたが、佐竹さんにオンラインでお会いして、3秒後に「この人で決まり!」と思いました。僕は前職で長らく営業をしていて、多くの人を見てきたので、直感も働いたのかもしれません。こんな話を佐竹さんにするのは初めてです(笑)
佐竹:私は事業に対する河西さんの熱い思いに共感して、「弁慶丸の力になりたい」という思いが、より強くなったのを覚えています。それに、戦略的に事業を展開されていることも知って、私のような外部の人間でも関わりやすいだろうなあと感じました。
編集部:佐竹さんが「週1副社長」として弁慶丸で取り組んだ内容について教えてください。
佐竹:Instagramの運用を始めました。「何か新規事業をスタートさせたい」という段階から始まって、飲食事業や干物事業、コンサル事業などさまざまな内容を模索したんです。
模索する中で大切にしたポイントは2つ。1つ目は、河西さんが既存事業に対して情熱と誇りをお持ちだったので、これまでの事業をベースにする形がいいのではないかと思ったこと。2つ目は、検索エンジンに依存した集客になっている側面があったので、今後新しい顧客層を取り込むためには、新たなしくみを作る必要性を感じたことです。
編集部:佐竹さんからSNS強化を提案されたとき、河西さんはどのように感じましたか?
河西:僕自身はもともと、SNSに抵抗があったんですよ。今後、集客の大きな武器になると分かってはいたのですが、「~してみた」というような登場人物がからだを張るコンテンツのイメージが強くて、とうとう僕も船の上で踊らないといけないのかなあ、とか(笑)。ですが、佐竹さんに最新の動向やSNS発信の目的などを教えていただき、すぐに納得しました。
同時期に25歳の男性社員が入社して、佐竹さんと二人三脚でSNS発信を担当してもらうことで、彼の成長につながるとも思ったんです。
開始2ヵ月目で1万件のリーチを獲得
組織への副次的な好影響も
編集部:SNS発信を強化して、今の時点で出ている成果があればお聞かせいただけますか?
佐竹:2022年8月24日の初投稿から、2ヵ月目に1万件のリーチを獲得できました。実際にInstagramから自社サイトへの流入も増えていて、新たな顧客層の開拓は進んでいるように感じます。
とはいえ、今はまだ「誰に向けて、どのような発信をするか」について、方向性を固めるために実験している段階です。狙って出した成果というより偶然的な要素が強いので、1週間ごとに結果を振り返りながら、しばらくは実験を繰り返していきます。
編集部:実験を重ねたその先の展望など、うかがえますか?
佐竹:SNSはあくまで、ユーザーの声や動きを知るための「きっかけ」や「手段」だと思います。なので、情報発信として活用するだけでなく、集めたデータや知見を事業に落とし込んでいきたいです。
編集部:佐竹さんが弁慶丸に加わったことで、人材育成の面にも良い影響がありそうですね。
河西:ひしひしと感じる変化として、社員の成長スピードが上がりました。佐竹さんはお人柄が良くてスキルも高いので、社員が気軽に相談できていて、いい関係を築けていることが伝わってくるんです。僕としては、弁慶丸に航海士が入って、新たな航路に導いてくれている感覚になっています。
編集部:「週1副社長」を通して、河西さんご自身に何か気づきがあれば教えてください。
河西:年配の方も想像以上にSNSを使っていることを知って、固定観念がいい意味で壊れましたね。定期購入してくださっていた60代や70代の方がInstagramアカウントをフォローしてくださったり、新規のお客様がInstagram経由で購入してくださったり、驚きました。
あと、社員が佐竹さんに相談する様子を僕が客観的な立場で見れるので、「この社員はこんな考え方を持っていたんだ」と、仲間の新たな顔に気づくこともできています。
目指すは「漁師から直接鮮魚を買える世界」
編集部:組織としての今後の展望について、お聞かせいただけますか?
河西:大きい目標ですが、若いお客様も増やして、漁師から直接魚を買える世界をつくりたいです。農業では、農家さんから野菜を直接購入する形態が浸透しているじゃないですか。そんなふうに、近くの港で商品を買えるような流れができれば、お客様はもっと気軽に鮮魚を楽しめるようになるし、漁業の衰退に歯止めをかけられるとも思うんですよ。
編集部:漁業界全体で見たときに、今の時点で「漁師直送」で成功している個人・企業はどれくらいあるのでしょうか?
河西:僕が知っている限り、ほとんどありません。というのも、自分たちで販売しようと努力しても、周囲の反対や集客力不足で失敗してしまっているケースが多いんです。この業界に本格参入するには、「漁業権」という漁業を営むための権利が必要なので、外部参入が難しい構造になっていることも関係しています。
だからこそ、外の知見も吸収しながら、漁師や仲買さんが少しずつ認識を変える必要があると思っています。弁慶丸としての挑戦を認識してもらったりすることで、少しずつでも「漁師直送」の道が開けていけばうれしいですね。
編集部:河西さん個人としての展望があれば教えてください。
河西:今は販売作業に比重を置いていて、なかなか海に出られていないので、本来の漁師としての姿に戻りたいと思っています。そのためにも、集客や販売は、佐竹さんのように知見を持った方の力をお借りしたいんですよ。
業界全体の高齢化もあって、地元の港も、数年前と比べたら活気がなくなってきています。後継者を育てる意味でも、僕もなるべく現場に出て、以前の生き生きとした港に戻していきたいですね。
佐竹さんは昨年末、弁慶丸のカニを注文して、友人とカニパーティーをしたそうです。そのおいしさはもちろん、目の前で動いているほどの新鮮さにも驚いて、パーティーは大盛り上がり。丸ごと1杯のカニを自分たちで解体するのが、思いのほか簡単で、びっくりしっぱなしだったんだとか。
少年のような笑顔でお話される佐竹さんと、目を細めながらにこやかに聞いている河西さん。お二人の間に流れている空気が、その関係性を物語っているようでした。
プロフィール
河西 信明さん
1970年大阪生まれ。関西大学商学部卒業。2002年漁師育成制度にてIターンで鳥取県に移住。2年半に渡る研修を終え「弁慶丸」を新船建造し、独立。
愛称は「脱サラ船酔い漁師」。「漁師が泣き寝入りする時代は終わった」「漁師は日本の伝統技術者であり、絶えさせていけない」という力強いメッセージとともに、既存の流通制度に風穴を開けるべく、日本海の荒波と旧態依然とした人たちの荒波にももまれながら「漁業の流通改革」に挑んでいる。
佐竹 宏範さん
長野県松本市在住。大学卒業以来、複数のベンチャー企業やスタートアップ企業で事業立ち上げに携わる。2018年信州大学が主催する『信州100年企業創出プログラム』参加を機に、東京から長野県松本市に移住、独立。
「地域活性とは、そこに暮らすひとたちが幸せに生活すること」と考え、地方中小企業の支援や、地域の若手人材を集めたゼミ、地域の方がやりたいことを事業にするプログラムなどの活動を行っている。
ライター