不妊治療の保険適用から考える
子どもを望む人が健康に出産し、活躍できる社会になるには
2022年4月から不妊治療の保険適用の範囲が拡大されました。さまざまな理由で治療をためらっていた人や、これから治療を考えたい人には朗報といえそうです。
また、働きながら不妊治療をする人にとって大きな壁となっていた仕事と治療の両立課題についても、会社独自の両立支援制度を設ける企業や、柔軟な働き方を推進する企業の事例が出てきたことで、明るい兆しが見えてきました。厚生労働省による仕事と家庭の両立支援制度を利用した中小企業への助成金制度も始まっています。
やっと社会問題として光が当てられ、個人の負担が軽減され社会が寄り添ってくれることはとても喜ばしいことです。今後、子どもを望む人が健康的に妊娠・出産し、思い描く人生やキャリアを実現させていくためには、どうすればよいのでしょうか?
「妊娠適齢期を意識したライフプランニング」を提唱していらっしゃる、梅ヶ丘産婦人科ARTセンター長(前・国立成育医療研究センター周産期・母子診療センター副センター長)の齊藤英和先生にお話を伺いました。
齊藤英和先生
1953年東京生まれ。梅ヶ丘産婦人科・ARTセンター長。国立成育医療研究センター周産期・母性診療センター・臨床研究員。近畿大学客員教授。専門分野は生殖医学、特に不妊症学、生殖内分泌学。内閣府「新たな少子化対策大綱策定のための検討会」委員。長年、不妊治療の現場に携わる中で感じてきたことから、加齢による妊娠力の低下や、高齢出産のリスクについての啓発活動も行う。著書に「妊活バイブル」(共著・講談社)、「『産む』と『働く』の教科書」(共著・講談社)など。
「妊娠適齢期」について知っていたら、ライフプランは変わっていたかも?
これまで妊娠・出産は個人の問題でした。最近でこそ、女性だけでなく男性不妊に関する認知も広まっていますが、まだまだ女性の精神的・身体的な負担も高く、仕事と両立する難しさなども課題も多いのが実状です。齊藤先生はそこにも大きな課題があるとおっしゃいます。
妊娠は男女ともに協力して行わなくてはならないものであり、不妊の原因も男女イーブンです。体が変化するのも、出産するのも女性なので、女性が主体になりがちですが、本来は最初から男女で関わり、寄り添い、妊娠前のケアから産後の職場復帰まで一緒に担うべきです。そもそも、人間には生物学的な『妊娠適齢期』があり、それは男女ともに20代。30代以降は妊孕力(妊娠する能力)が減弱して、不妊のリスクが増加します。育児には体力も必要ですから、早くに産み育てる方が、男女ともに無理がないといえるのです。
20代は仕事で経験を積んで、30代で結婚出産、復帰して…と漠然としたイメージしか持ち合わせていなかった私にとっては、「もっと早くに知りたかった」というのが正直なところ。結婚したときには、すでに妊娠適齢期を超えていたなんて…。
やはり大切なのは、教育なんです。今お話ししたようなことを、誰もが学校の授業で学んでおく必要があると思っています。こういうと、『妊娠・出産を押し付けている』と必ず批判を受けるのですが、そうではなくて。自分のライフプランを描く上でどういう道を選択するかは個々の自由ですが、自分の体や妊娠について、正しい知識を知った上で選択できるようにしましょう、ということなのです。
今から20年以上も前の性教育では、避妊や性感染症については習いましたが、『加齢に伴い不妊のリスクが増える』というのは習いませんでしたし、ましてや妊娠適齢期を考え合わせた上でライフプランを練るなんて、発想もありませんでした。
学習指導要領がそこまで変わっていないので、今でも妊娠適齢期というような内容は取り上げられていません。過去にこうした妊娠や出産に関する支援策を記した『生命と女性の手帳(女性手帳)』を作ろうとしましたが、叶いませんでした。広く伝えられる機会を失ったのは残念です。
以前、プレコンセプションケア(※)の取材でも医師から「自然妊娠で絶対に3人授かりたいと思うなら、23歳から妊活を開始したほうがいい」と聞きました。この時も、「社会人になりたての23歳からもう妊活…?!」と驚きましたが、3人目を望む際の妊孕力や、その後の育児に必要な体力のことを考えるとうなずけます。もし、このイメージがあったなら、自分のキャリアプランも変わっていたかもしれません。
(※)「あらかじめ(プレ)、新しい命を授かる受胎(コンセプション)する体のことを考えて、よりヘルスリテラシーを高めよう」と2006年にアメリカで始まった考え方
ヘルスリテラシーの低さを象徴する、日本の性教育の遅れ
最近、「包括的性教育」という言葉を耳にすることが増えてきました。ユネスコが2009年に提唱した、より広い意味での性教育のことで、健康やウェルビーイング、ジェンダーや多様性、人間関係や人権に関することなど、8つのキーコンセプト、27のトピックで構成されています。世界では、妊娠・出産に関しても、より広い視点のもとで、自分の人生と地続きなものとして捉えているんですね。性教育について、斎藤先生はどのように捉えていらっしゃるのか、伺ってみました。
世界で行われている包括的性教育から考えても、日本の性教育は非常に範囲が狭く、思春期の体の変化や妊娠・避妊、性感染症についてのみ。最近になってジェンダー理解や性暴力などのことが追加された程度です。妊娠の仕組みについては学びますが、セックスについては一切触れていません。それでどうやって教えるの?と現場からも疑問の声が上がっています。
これに対しては、私も含め、日本の性教育の遅れを懸念している子育て世代が、積極的に家庭で性教育を取り入れる動きがあります。今や、インターネットやSNSで歪んだ性の情報が蔓延し、誰でも簡単にアクセスできてしまう、間違った情報が先に入ってきてしまう恐れがあるからです。「小さな頃から体や命、性について正しい知識を持っていてほしい」と、一緒に絵本を読んだり、ワークショップに参加したり、親子で学ぶ機会も主体的にもつようになりました(ユネスコの『国際セクシャリティ教育ガイダンス』によると、「性教育は5歳から始める」と記載)。しかし、齊藤先生によると、それだけでは社会全体として解決しないといいます。
家庭で教えればいい、という問題でもありません。家庭での性教育ももちろん大事ですが、やはり、教育の中で一度は誰もが知識を持つ仕組みを作っておかなければなりません。『教育として性教育を充実させてほしい』と願うのであれば、子育て世代が社会に対して声をあげ、アクションを起こすことで、社会や教育は変わっていくはずです。
社員のライフキャリア支援のために、企業ができるアシストとは?
性教育の不十分さから妊娠適齢期が過ぎ、将来的な不妊のリスクも高まることは理解できました。一番いいのは家庭や学校で包括的な性教育を受けることだとは思いますが、それらを受けられないまま大人になった人は、自分から情報を探しにいく以外、方法はないのでしょうか。
企業が取り組めることは大いにあると思います。『社員の健康』という観点から、人事の健康管理者が課題感を持って、『ライフプランとキャリアプランの立て方』をテーマに、外部の専門家に講演してもらうこともできます。生涯の健康を考える上で、男女ともに妊娠適齢期や妊孕力の話に少しでも触れておくことで、社全体にも周知できます。
ライフプランとキャリアプランをセットで考えることは大事ですね。先ほどの包括的性教育でもありましたが、「生涯を通じた健康やウェルビーイングの一部」として、妊娠適齢期や妊孕力などの知識を、会社や地域の取り組みに組み込むのは良いアイデアだと思います。特に、若い世代の社員に対しては、男女ともに「健康指標の一つ」として周知することが、健康経営にもつながるのではないでしょうか。
年に一度の健康診断もうまく活用できますよ。必要であれば、年代別に日常的に取り組める妊孕力アップのための体のケア法を伝えることも有効です。取扱説明書があればうまく使いこなせるのと同じで、自分の体の仕組みがどうなっているのか、一番使いやすいようにするにはどうすればいいのか。各自ヘルスリテラシーを高めて、日頃から過ごしていくことが最も大事ですね。
不妊治療の話題から始まり、妊娠適齢期や日本の性教育における課題、これからの社会ができることが浮き彫りになりました。齊藤先生のお話を伺っていると、妊娠・出産時だけでなく、さまざまなパフォーマンスを上げるためにも、社会全体のヘルスリテラシーの向上が必要だということがよく伝わりました。家庭や学校、企業などの場において、多くの世代が「自分の体と自分の生き方に向き合う」という広い観点で、妊娠・出産を考える機会があると、社会はまた一歩前進するのではないでしょうか。
ライター