医療従事者としての責務と、未就学児の母親としての責任の間で揺れる心。
現役医師に医療現場の実情をインタビュー
コロナ禍2年目に突入し、4都府県ではまたも緊急事態宣言が出されています。長引く自粛生活、なかなか進まないワクチン接種、そして変異ウイルスの感染拡大…。先行きの見えない不安や苛立ちの矛先はそれぞれ違いますが、世の中が不穏な雰囲気で包まれていることに違いありません。その一つの現れが、医療従事者やその家族への差別や誹謗中傷ではないでしょうか
最前線でウイルスと闘ってくれている方々に、なぜ差別や偏見が向けられてしまうのでしょうか。差別や偏見は、最初の緊急事態宣言時から各地で問題視されてきました(※)。
今回、LAXICでは、「コロナ禍で生じた、子を持つ医療従事者への影響」を調査したママドクターを取材しました。がん研有明病院 麻酔科に勤務するかたわら、産業医としても活躍されている升田茉莉子医師です。
「ウイルス感染の不安だけでなく、社会的差別や子を持つ医療従事者への支援体制の不十分さが、ストレスや働きにくさを加速させている」、と升田医師。自身も未就学児の双子を育てるワーママである升田医師に、現在の医療従事者のみなさんのリアルなお話について、先生に伺いました。
(※)法務省HP
母として家族を守るか、医療従事者として責務を果たすか
編集部:まずはコロナ禍が始まった、1度目の緊急事態宣言時の状況をお聞かせください。
升田 茉莉子医師(以下、敬称略。升田):医療従事者の中でも知見がない状態でしたので、自分自身が病院へ働くことや子どもを集団保育に預けることが、どのぐらい感染リスクを高めてしまうのか、誰も分かりませんでした。もし子どもや家族への感染リスクが上がってしまうなら、私はそこまでして働くべきなのだろうか。意義ある仕事であるのですが、母である自分と医療従事者としての自分、両方の気持ちのバランスをどこで取ればいいのか難しい状況でした。母である医療従事者たちは、同様の辛さを抱えていたと思います。
編集部:みなさん、どのようにして勤務されていたのでしょうか。
升田:私の周囲では、いろいろな制約がありつつも時短勤務や在宅勤務の夫が頑張ったケースが多かったようです。とはいえ、勤めている病院の種類にもよりますが、夫や親族から「感染リスクを、家族や子どもに広めないでほしい」とプレッシャーをかけられ就労を断念、もしくは一時中断した方もいました。
編集部:パートナーや親族から言われてしまうのはきついものがありますよね…。
升田:今になって知見も溜まり、ワクチンも実施段階に入っていますが、昨年4月の段階では先が全く見えない状態。どういう生活スタイルを取ればいいのか、誰も分からない中、小さい子どもを保育園に預けながら病院で働くというのは非常に厳しいものがありました。
編集部:本当ですね…。分からない、というのは誰しも同じでしたから。保育園側の受け入れ体制はいかがでしたか?
升田:今回の調査で、東京都の認可保育園の対応について自治体にヒアリングを行いました。医療従事者に対しての保育継続など一定の配慮はあったものの、区立保育園の一部で以前は当たり前だった延長保育・早朝保育の利用制限や、最寄りの保育園が閉鎖され遠方他園での振替保育しか利用できなかったとの実態が明らかになりました。
急に明日から知らない園で知らない先生にわが子を預ける…。これには抵抗を感じた方も多かったのではないでしょうか。
「子どもを持つ医療従事者たちの声を集めたい」と調査スタート
編集部:今回、先生が書かれた論文「新型コロナウイルス感染拡大によって生じた子供を持つ医療従事者への就業影響に関する調査」は、どのような経緯で始められたのですか?
升田:労働時間が長い大学病院や大規模病院勤務の傾向として、未婚、もしくは既婚で子どもがいない職員が多く、特に女性は出産育児や介護が必要になったタイミングで、拘束時間の短いクリニック勤務に変わるケースが多いです。そんな古い体質の医療業界であっても、最近は子どもを持つ女性医療従事者が増えてきて、今回調査したところでは中学生以下の子を持つ職員が25%という結果になっています。
編集部:日本全体としては子どものいる女性の就業率は52.4%(※)という数値もありますが、25%は医療業界的には多いのでしょうか?
升田:私にとっては、多い印象でした。大規模病院では長時間労働が当たり前な業界ですが、私含めて子どもを持つ立場の人間が増え、今のような形態ではいずれ立ち行かなくなるという危機感がありました。現在のような緊急事態の中で、保育などに制限がかかると職員に対してどのぐらい就労制限がかかってくるのか知った上で、今後対策する必要があると感じたので、全職員約2千人を対象に院内アンケートを実施しました。
その結果、未就学児を抱える家庭では4割強が就業形態の変更を迫られ、その原因のほとんどが保育園などの利用制限でした。集団保育での感染リスクの懸念も一因で、未就学児を保育園に預けた医療従事者の中で約2/3は何かしらの心理的抵抗があったという結果も出ています。
編集部:2/3が心理的抵抗を抱えていた、と言うのは非常に大きい負担ですよね。中でも印象的だった結果は?
升田:社会的な差別を感じていた医療従事者が7%いたことです。男女問わず少なからずリスクを負い、葛藤を持ちながら病院で働いている中、非常に残念でした。あとは、男性医師に関しては保育体制が整っていなくても就労制約が一切かからず、女性医師のみ就労が厳しくなることが分かりました。男性医師の場合は、配偶者が専業主婦という家庭が多いのがこの結果につながったようです。
編集部:やはり差別はあったのですね…。また女性医師のみ就労に制限が出てしまうのも、医師という職業のジェンダーギャップを感じてしまいます。ちなみに調査結果への反響はいかがでしたか?
升田:大きな制度を変える力になった訳ではありませんが、アンケート調査をしたことによって「言えなかった思いを汲んでくれてありがとう」という声があり、そこは本当に嬉しかったです。悪気のないちょっとしたことがずっとモヤモヤしていた、そんな職員たちの思いを吐き出す場になれて良かったです。
編集部:産業医としての側面を持つ、升田先生ならではのアクションですよね!
升田:大学病院勤務だけでしたら、長時間労働を当たり前だと思い調査をしようとは考えていなかったかもしれません。ですがキャリアチェンジや海外生活でさまざまな働き方に接し、産業医として日々多くの方の悩みに接していることや、私自身がいち労働者で母である、というところから、こういった調査につながったのだと思います。
誹謗中傷・心ない言葉・差別を受けた人が、少なからずいた現実
編集部:先生ご自身は差別を感じたりすることはありましたか?
升田:私は幸い、差別を感じることはありませんでした。マスコミで報道されていたほど大きな差別はなかったという印象ですが、決して低くはない、非常にリアルな数値だと認識しています。
ただ、子どもに対して差別が及んでしまったケースもあり、誰しも望んでこの状況になっているわけではないので、もう少し周囲にはご理解いただけたら良かったと思っています。
編集部:子どもへ及ぶ差別というと、どんな内容だったのでしょうか?
升田:親が看護師であることを理由に娘がいじめられたり、子どもがいじめられるから職業を言うなと言われたり…ですね。医療従事者はいつから人に言えない職業になったのでしょう。こうした話を聞き、同じ母親としてとても辛かったです。
編集部:報道では医療従事者の離職率の高さが話題になっていましたが、実際先生の周囲でもそういったケースは多いのでしょうか?
升田:私の勤めている病院は重症患者を受けている病院ではありませんが、感染症指定病院や都立病院、大学病院などでは、看護師を中心にかなりの人数が現場を離れたと聞いています。これは、致し方ないと思います。自分の職業倫理だけでは動けませんし、家族に弱者がいる方、高齢者のいるご家庭に「それでも勤めてくれ」というのは難しいです。
編集部:なるほど…。仕事を強制することはできませんし難しい問題です。それと、私たちのような医療従事者ではない人でも、たとえば外食をする・旅行をするなどの行為に温度差がありますが、先生の中で医療従事者と世間との感覚のずれを感じることはありますか?
升田:大学病院で集中治療を担当している医師と話をすると、感染者数がまた増えてきているのに繁華街での人出が減っていないことに対して、非常にやるせなさを感じていました。自分も疲弊しながら頑張っている中で、毎日多くの命が失われていて、それなのにどうして…、そういう思いが強くなっていました。
本来は対立にならずコロナが終息することが一番なのですが、なかなか場面場面では難しいというのが現状です。
編集部:大変な思いをしているのはみんな同じなので、そこで対立をしないようにしていきたいですね。
産業医としての経験も生かして、誰もが働きがいのある社会へ
編集部:産業医として企業から受ける相談には、どんな内容が多いですか?
升田:マスクや飲食をともなうことに関してご相談が多いです。たとえば、「社食での食事後にマスクを外しておしゃべりをしている人がいるが、どう対策したら良いか?」というご相談がありましたが、今は一律マスクをしなければいけない時期なので、社内でも厳しめに対応するべきです、というアドバイスをしました。とはいえ、全員に高いレベルの予防策を強制するのは、また別のところでストレスが増えますので、なるべく軋轢を生まない形で温度差を埋めたいですね。
編集部:対面でのコミュニケーションを重視する企業か、若手が多い新しい体質の企業かによっても対応は異なりそうですね。ちなみに、医療従事者の方々にとっての産業医的な存在はいらっしゃいますか?
升田:もちろん法律上定められていますので産業医はおりますが、産業医よりも気持ちを分かち合える職場の同僚と話すことでスッキリさせている方が多いのですが、今はそれもできないので、孤独になりやすく、働きがいが失われてしまうことを懸念しています。
編集部:コロナ禍が長期化しているのでそれは心配です…。先生ご自身のストレス解消方法はありますか?
升田:ひとりになる時間を持つようにしています。子どもたちはもちろん可愛いのですが(苦笑)、夫にお願いして自分だけになる時間がストレス解消ですね。
編集部:それは非常に大事です! 最後に、LAXIC読者にメッセージをお願いします。
升田:コロナ禍が1年以上続き、みなさんさまざまなところで我慢しながら日々の生活を送られていると思いますが、ワクチンの見込みもたち、もう一踏ん張りのところまで来ています。医療従事者に対してももう少しの間、見守っていただけたらと思います。あと、医療業界は遠い世界と感じるかもしれませんが、古い体質の業界ながらも女性職員が増え、働き方改革・女性活躍を進めている段階です。それぞれが働きがいを持てる社会になるよう、同じワーキングマザーとして共に頑張っていきましょう。
編集部:お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました!
医療従事者の方々、特に小さな子どもを抱えていらっしゃる方々が、これだけ多くの制約や心理的ストレスを抱えながらも、日々奮闘していただいていたなんて。もちろん、報道では見ていましたし、社会問題として理解していましたが、実際にお話を伺うことで、より身近な問題として捉えることができましたし、「もし、自分だったらどうしていたか」そう考えることで、日々の行動や考え方も変えることができると実感しました。みんなが困難な時こそ、想像力と心の余白が大切ですね。何よりも、医療現場も一般企業も「働く」という意味では同じ悩みを抱えている、そこも身近に感じられた瞬間でした。
プロフィール
升田 茉莉子さん
医師
日本医科大学大学院医学研究科卒業後、日本医科大学附属病院麻酔科にて研修。NTT東日本健康管理センターにて専属産業医として勤務し、夫の海外赴任に伴い渡米。2017年4月に帰国し、現在、がん研有明病院の麻酔科医として週4日臨床で働きながら、フェミナス産業医事務所所属の産業医として数社担当するパラレルワーカー。プライベートでは男女双子(3歳)のママ。
文・インタビュー:飯田 りえ
ライター