「誰かの背中を押せたら」
秋田のマルチプレーヤーを突き動かすのは、高校時代のある経験
ラジオパーソナリティやイベント司会者、コラムニスト、時短家事コーディネーター®と、地元の秋田県でマルチに活躍する藤田ゆうみんさん。秋田へ帰郷する前には、全国ネットのラジオ番組を4年間担当していたこともあります。
彼女の活動の根っこにあるのは「誰かの背中を押したいという気持ち」です。柔らかな雰囲気に包まれた彼女から発せられる、芯の通った言葉の原体験は、高校時代にあります。これまでのキャリアや原動力、思い描いている未来について語っていただきました。
過去には全国放送のラジオ番組を担当
結婚を機に秋田へ帰郷し、マルチに活躍中
1984年に秋田県能代市で生まれた私。父が松任谷由実さんの大ファンだったことから、「友明(ゆうみん)」と名付けられました。「ともあき」とも読めるので、小さいころは「男の子みたいな名前だなあ…」と悩むこともあったのですが、大人になるにつれて自分の名前を好きになりました。珍しい名前だから、人の記憶に残りやすいんです。
現在は、ラジオパーソナリティやイベント司会、コラム執筆など、自分の経験を生かして幅広く活動しています。歌手としてライブ活動もしますし、2020年からは秋田初となる「時短家事コーディネーター®」としての取り組みも始め、家事の効率化について、個人や企業にお話しすることもあります。「私は何屋さんなのだろう」ってふと考える瞬間も…(笑)
高校卒業後に進学で上京してから10年は、首都圏で生活を送りました。大学在学中にタレント事務所の新人オーディションに合格して、養成所に通い始めたのが、私のキャリアの入口です。大学を卒業してからは、人材系のベンチャー企業で転職コンサルタントとして働きながら、養成所に通い続けました。下積み期間を経て、パーソナリティとして担当させてもらったのが、全国ネットのラジオ番組「OH! HAPPY MORNING」です。2008年から今まで続いている、人気番組なんですよ。
秋田に帰ってきたのは、2012年。きっかけは、秋田県三種町出身の夫と東京で出会ったことでした。結婚して2014年に女の子を、2018年には男の子を出産し、大変ながらも笑顔の日々を送っています。
「誰かの背中を押す存在でいたい」
原体験は、高校時代の英語弁論大会
手広く仕事をしている私ですが、すべての原体験となっているのは、高校生のときに出場した英語弁論大会です。スピーチの原稿を考えているときに「アメリカ同時多発テロ事件」が起きて。私は、事件から見えるアフガニスタンの現状と、そのとき自分たちにできることについて原稿にしたんです。たとえば「募金をいくらしたら、アフガニスタンで何本の鉛筆が買える」みたいに。
そうしたら、スピーチを聞いた人がコメントシートに100円玉を貼って、「僕は心を動かされた。君がこの100円をアフガニスタンに届けてくれ」と渡してくれて。ほかにもALT(外国語指導助手)の方々や、会場にいなかった方々までも、その後私の元へ募金を届けてくださったんです。私の言葉がきっかけで、みなさんが行動してくれたことがうれしくて。「想いを伝えることで、行動するきっかけを与えられるんだ」と、強く心に刻まれました。
弁論大会での経験がベースになって、「誰かの背中を押したい」という思いが、ずっと私の原動力になっていますね。「ゆうみんから話を聞いてよかった」「ゆうみんに会えてよかった」。そう思ってもらえることが、私にとっての幸せです。
伝える仕事、表現する仕事は世の中にたくさんありますが、ラジオパーソナリティを目指したのは、自分に一番合っていると感じたからです。日常で見聞きしたものを、リスナーへ近い距離で伝えられる。それが、ラジオの魅力だと思います。
伝える仕事をする上で日々大切にしているのは、「自然体でいること」です。つくろったり、大きく見せたりして、本来の自分ではない姿は見せないようにしたい。私自身、ありのままの姿を見せている人に憧れるし、素の自分で伝える方が、相手の深いところまで言葉が届くのではないかと思うんです。簡単なことではありませんけどね(笑)
ズボラな自分を認めて家事を短縮!
「ゆうみん流」の仕事と家事育児の両立法とは
秋田へ帰ってきて2年後に長女が、その4年後には長男が生まれました。夫と2人の子どもという、大切な家族と過ごせる幸せを日々感じていますが、自分のやりたいことに真っすぐ向き合って生きてきた私には、子育ては難しくもありました。自分と違う人格が、家の中に3人もいるわけですからね。家族が増えるにつれて、自分主体で仕事に取り組むわけにはいかなくなりました。
そこで実践したのが、家事の見直しです。家事にかける時間を短縮したら、精神的にも余裕が生まれるようになりました。家事を見直すのって、自分にとっての「当たり前」を否定することになるし、意外とハードルが高いんですよ。「家事はこうあるべき」「妻だから、夫だから」という固定観念を取り払って、「わが家はこのスタイルでOK」と思うことが大切です。
たとえば、私は洗濯物を干すことは苦ではありませんが、畳むことが本当にストレスで…(笑)ハンガーにかけたまますべて収納するようにして、畳まなくて済む家の構造にしたんですよ。そうしたら、もう天国です。自分の駄目なところから、目をそらしたくなる人は多いと思います。でも、嫌な自分を認めて、解決策を建設的に考えると、心が楽になるんです。私の場合は、「自分はズボラだから、ズボラでもできる家事のスタイルを探そう」という意識を持つようにしています。
家事の時短が人生を変えた、と言っても過言ではありません。家事って生活そのものなので、家事の在り方が変わると生活全体がガラッと変わるんです。結果として、物の選び方やお金の使い方、人生観まで変わります。
秋田で自分にしかできないことをやってみたいという思いから、秋田初の「時短家事コーディネーター®︎」としての活動も始めました。オンラインや対面で、時短家事のメソッドやノウハウを伝えています。ママたちが笑顔で、ゆとりのある暮らしを送れるとうれしいです。
秋田に「恩返し」を。子育て世代と子どもたちへの思い
最近は、時短家事コーディネーター®の活動とセットで、男性の育休を推進する「トモダテ・トレーナー」としての活動にも力を入れています。男性育休をこれから取りたいご夫婦や、促進したい企業に向けて、「夫婦で協力して家事育児に取り組む方法」や「会社にとってのメリット」などを伝えています。法改正によって育休制度は整えられ始めていますが、休みづらい空気感があったり、休んでも夫婦で協力し合えなかったり、まだまだ実態は伴っていません。
子育てに対する意識が変わって、2人目、3人目を産みたいと望む方が増えれば、秋田への恩返しにもなるのかなと思っています。私のアイデンティティーは秋田にあって、今の自分を形成する大切な場所です。子育てを楽しむ輪を、もっと秋田に広げたいですね。
それに、大人が楽しく過ごしていれば、子どもたちにも生きる喜びが伝わるじゃないですか。以前、中学校で夢にまつわる講演をさせてもらった際、子どもたちに「将来なりたい姿」を書いてもらったことがあるんです。そのとき、ひとりの女の子に「私、看護師になりたいんだけど、アイドルにもなりたいんです。だから、迷っています」と言われて、私は「どっちもやろうよ!歌って踊れる看護師って素敵じゃん」と返したんですよ。そうしたら、目をキラキラさせて「えー!そんな選択肢があるの!」って。その子の反応が忘れられないんです。
何かを達成するために、必ずしも何かを諦める必要はないですよね。「どうしたら自分の夢をかなえられるんだろう」「自分は大人になったら何をしたいんだろう」。好きなことを仕事として楽しく働く私の姿を見て、子どもたちが自分の夢を膨らませてくれたらとてもうれしいことだし、そういう自分でいられたらと思っています。
ライター/ 紺野天地
ライター