1. トップ
  2. 働き方・生き方
  3. 5人の子育てを軸にマフィン屋を開業! 自由なマインドが生み出す唯一無二の働き方
2023.10.09 2024/02/14

5人の子育てを軸にマフィン屋を開業!
自由なマインドが生み出す唯一無二の働き方

FacebookTwitter
5人の子育てを軸にマフィン屋を開業! <br>自由なマインドが生み出す唯一無二の働き方

5人のお子さんを育てながら、おからマフィン専門店「rainbow muffins(レインボー・マフィンズ)」(北海道札幌市)を営む小川理巳子(おがわ・よみこ)さん。お子さんの年齢は、上から15歳、13歳、11歳、9歳、2歳と、怒とうの子育て真っただ中。しかし、ご本人はすこぶる楽しげで、大変さをみじんも感じさせない面持ちなのです。まさに「母親らしく」の息苦しさとは無縁に見える小川さん。そんな彼女に、母親業と個としての人生を健やかに両立するヒントをはじめ、固定概念にとらわれない生き方の源泉、大切にしている子育ての価値観について語っていただきました。

「こんな自由に生きていいんだ」
海外で見つけた“枠にとらわれない生き方”

ニュージーランド留学時代の一コマ。「写ルンです」で撮影したのが懐かしい、小川さん。

幼いころから自己表現が大好きで、10代のころは自分なりの自己表現のカタチをずっと模索していました。友人とバンド活動をしてみたり、ファッションで自分らしさを表現したり。いろいろなことを試してみても何か物足りなさを感じていました。そんなある日、父親が経営する飲食店の従業員が流ちょうな英語で接客する姿を見て、もうがくぜんとしたんですね。なんて自分は小さくて、狭い世界で生きているんだろうって。私も海外に行かなきゃと奮い立って、高校卒業後、介護士の資格を取りニュージーランドへの留学を果たします。

初めはホームステイ先で暮らしていたのですが、その後、現地の人と一緒に暮らしたくて、新聞のシェアメイト募集欄をチェックする日々。そして見つけたのが、21人もの人々が暮らすシェアハウスでした。彼らの中には画家や写真家もいて、いわゆるアートで生きる人々に人生で初めて出会った瞬間でした。間近で彼らの活動を見ているうちに、私が求めていたのはこういう自己表現だったんだなって気づかされて。「こんなに自由に生きていいんだ」と思えたとき、やりたいことが一気に爆発しちゃったんです。気づいたら没頭して絵を描いていましたね。作品もたまってきたところで、次は路上で絵を描いてみようと思ったことが、私の最初のキャリアとなる絵描きになったきっかけです。

次第に路上パフォーマンスが話題となり、気づけば展覧会をやりましょうと声をかけられたり、寄付が集まったりしました。しかし在留期限がせまっていたことから、日本に一時帰国することに。ところが数年ぶりの日本での暮らしに窮屈さを感じ、数ヵ月後にはワーキングホリデービザを取得して、今度はオーストラリアへ。1年後にビザが切れるタイミングで現地の介護資格が取れるカレッジに入学し、日中は勉強、放課後は路上で絵を売る生活を送っていました。カレッジ卒業後は、カンボジアに渡り孤児院で英語を教える経験を積み、その後日本に本格帰国。20代前半はまさに刺激に満ちた人生を過ごしてきました。

出会って1週間で電撃婚
芽生えた夢は「5児のママになること」

結婚式での宣言どおり、今では5人のお子さんのママに。

帰国後は、父親の経営する飲食店で働きながら、アーティスト活動と両立する日々。再び海外に渡ってアートで勝負したい気持ちがあったため「アーティスト・イン・レジデンス」という支援プログラムを使って、ヨーロッパに渡ることを計画していたんです。しかし、ちょうど応募するタイミングで現在の夫と出会い、1週間後には結婚という、まさかの展開が待ち受けていました。

結婚後、長男を妊娠してからは、一切のアーティスト活動を休止することになります。絵を描くパワーが消えてしまったというのもあるけれど、何よりもお母さんモードに変わってしまったんですね。結婚したときから「子どもは5人産む」と決めていたから、それが私にとって一番の夢になっていました。ただ、そう言えるようになったのも、絵をやめて2〜3年を過ぎたころでしょうか。当初は絵の道を諦めきれなくて、子育てしながら展覧会に挑戦してみたこともありました。でも実際にやってみると、「ああ、これは無理だな」と。小さな失敗と諦めが重なっていくうちに、まずは子育てだなと理解していったんでしょうね。

そこからはクリエイティブなエネルギーが料理に向かい、食にもこだわり、毎日お菓子作りをする生活に。いつかお店を開きたいという夢も抱くようになっていました。とはいえ、当時は年子4人の子育て優先の日々を過ごしていました。

自然の中でのびのびと子育て

でも、母親になったからといって、これまでの自由な生き方と比べてジレンマを感じることは不思議となかったんです。きっと私自身が、世の中が求めるような「お母さん像」の型にはまろうと思わなかったからかもしれません。たとえば育児書に「子育てのポイント」と書かれていたとしても、一意見として理解するだけで、常に「私はこうしていく」というマインドでしたね。「母親だからこうあるべき」に振り回されることもなく、ただ毎日泥遊びをしたり自然の中で存分に遊び尽くしたりして、とにかく毎日の子育てを楽しんでいました。

子育ての集大成がマフィン屋だった
だからブレないし楽しい

お店の内装も仲間やご主人、子どもたちと一緒に手がけた

その後、40歳目前のタイミングで、無事5人目の子どもを授かることになります。40歳という区切りを迎え、次は6人目を目指すのか、お店を開く夢をかなえるのか、どちらをとるのかを考えましたが「お店を開こう」と自分の中のスイッチが切り替わった感じでした。当時はまだ具体的なプランは何も決まっていなかったのですが「これはマフィンだな」という確信がありました。

子どもが生まれてから毎日お菓子作りをしていたとき、クッキーを作るのに、バターを1箱使うことにものすごく抵抗感があって。子どもたちに食べさせるのに、もっとヘルシーなものってないのかなと模索していたときにたどり着いたのが「おからマフィン」でした。1年ほど毎日研究した結果「これ!」と思えるレシピに出会えて、子どもたちによく焼いていた、思い入れのあるおやつなんです。

2021年5月に「rainbow muffins」をオープンしてからは、5人の子育てとお店を両立する日々を送っています。家事は子どもたちのお手伝いでほぼ回っている状態。仕事を終えて帰宅すると、すでに洗濯物が畳まれていたり、料理をしている誰かがいたり。子どもたちに助けられて、日常が成り立っているんです。私にとって子育てのテーマは「自立」なので、小さいころから子ども自身の選択はすべて子どもたちに委ねてきました。もちろん親は全力でサポートはするけれど、子どもたちが決めたことなら「失敗してもいいからやってみたら?」というスタンスです。だから家のことも同様に、年齢関係なく「お手伝いは最低1個はやってね」というのがわが家のルール。日常の家事は、ある程度ルーティンで回せるものなので、何を教えたわけでもなく、子どもたちの間で自然と役割分担をしながら自然と身に付けていったのだと思います。それがともに暮らす者に対するリスペクトであることも、幼いころから伝えています。

5人の子どもを育てながらお店をしていると話すと、すごく大変なのではと思われるのですが、好きなことしかしていないから疲れないんです。今の私にとっては子育てがベースだし、その気持ちもブレない。これまでの子育ての経験で培った、段取り力や先読み力も今の仕事に生かせていて、私にとってマフィン屋は子育ての集大成だなとつくづく感じています。

子どもの人生は子どものもの
家族それぞれが“自分の人生”を生きる

小川理巳子さん / オンラインで取材しました

これまでの15年間は、子育て中心の時間を生きてきたけれど、常に私の中では、「これは私の人生ではなく、子どもたち自身の人生なんだ」と思いながら、子育てをしてきました。だから、それぞれが心地いいように人生をつくれたらいいと思っているし、普段から子どもに対して出過ぎないよう心がけています。すごく遠くから見守っていることの方が多いですね。

それにやりたいことなら、たとえそれが世間から見て、年齢的に早すぎることであっても、どんどん挑戦させています。その分、失敗も多いんですけどね。でも経験値を積んで、失敗から学んでいくことは、子どもたちにとってはチャンスだと思うんです。何歳だからこれはできないということはないから、子どもたちには失敗を経験しながらも、自分なりの答えを見つけていってほしいです。

私自身に関しても「もうこんな年齢だからできない」みたいなことは一切考えていないんです。ひとりの女性として、どこまでできるのか挑戦したいし、限界をつくることは好きじゃない。私も夫も「人生これからでしょ」と思いながら、日々を生きています。子どもには子どもの人生があるように、親にだって自分自身の人生がある。だからこそ、今与えられている役割だけに縛られず、その役割をも楽しみながら、これからも常に前へ前へ進んでいきたいですね。

写真ご提供:札幌市南区藻岩地区町内会連合会Web『もいわ暮らし』様

企画・編集/小山 佐知子

ライター

倉沢れい

ライター

この記事をシェアする

FacebookTwitter