家庭から消えることのない「大嫌いな家事」と
折り合いをつける5つの方法とは
イベントがめじろ押しの年末。家庭内では「大掃除」というイベントが控えていますよね。一方で忙しい日常を送っている人たちからは「大掃除は大変だからやりたくない」という声も聞こえてきます。もし、大嫌いな家事がある場合には、一連の家事がいっそう煩わしく感じられるかもしれません。
10月18日、シャープ株式会社の公式Twitterアカウントが「なんとなく今後の参考にするので、死ぬほど嫌いな家事をおしえてください」(※1)とつぶやいたところ、大きな反響がありました。
洗濯物たたみ、風呂掃除、アイロンがけ、排水溝掃除、換気扇掃除、布団カバーの装着、献立考案……などなど、寄せられたコメントは1万件以上。多くの人が大嫌いな家事をこなしながら日常生活を送っていることがうかがえます。この記事を読んでいる皆さんにも、後回しにしたくなるほど嫌いな家事があるのではないでしょうか。
ところで、皆さんは疑問を抱くことはありませんか? どうして便利なものがたくさんあるのに、嫌いな家事が家庭の中から消えないのだろうと。近年、ビジネス関係の記事では「テクノロジーが人間の仕事を奪う」という趣旨の記事を頻繁に目にします。しかし、家庭の領域ではテクノロジーが家事を奪い去っていく気配はありません。それはなぜなのでしょうか?
テクノロジーによって消滅した家事、新たに生まれた家事
家電量販店に足を運ぶと、ロボット掃除機、食洗機、洗濯乾燥機など、便利な家電がズラッと並んでいます。個々の家電は常にアップデートされ、高性能化が進んでいます。
とはいえ、家事時間の「劇的な」短縮には至っていません。『男女共同参画白書 令和2年版 』で「家事・育児・介護時間と仕事等時間の推移」を見ると、家事負担が重くのしかかり続けていることが分かります(※2)。家庭の運営を主体的に担う人が多い30代女性の「家事・育児・介護時間」の週全体平均は、1976年の時点で309分。2016年には273分。40年間で36分短縮されましたが、30代男性の家事時間が40年で30分ほど長くなっています。
この調査では、家事時間とケアワークが分離されていませんが、2つが密接な関係があることを踏まえると「40年間で男女の家事分担はゆっくりと進んでいるものの、家庭の中の総家事時間は劇的には減っていない」という仮説をたてることができます。
一方「20世紀」というスパンで家庭の営みを見つめると、近代化によって消滅した家事もあります。たとえば、水道やガスの普及により、料理・入浴・暖房用の燃料集めや、水くみなどの力仕事の必要はなくなりました。その反面、別の家事が発生しています。
書籍『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』著者で、科学技術の社会史を研究するルース・シュウォーツ・コーワン氏によれば、テクノロジーの進化とともに、アメリカの家庭内には以下のような変化がもたらされました(※3)。
・水道・ガスの普及によって、家族で炊事・風呂の支度をしなくてよくなったが、清潔な風呂・トイレ・台所を「毎日生産する」という新たな家事が生まれた
・洗濯機が普及するとともに、個人が所有する衣類の数や洗濯頻度が増え、アイロンがけ・衣類のシミ取りなどの家事を家の中で行うようになった
・かつての食卓メニューは単調でレパートリーが少なかったが、調理器具の発達で献立が複雑化した
これらは一例ではありますが、日本の家庭も、アメリカと類似の変化をたどっています。このような変化を踏まえると、冒頭の「死ぬほど嫌いな家事」のTwitterに寄せられたコメントは、近代化の後に発生したものも多く含まれていると推測できます。
(※2)参考 男女共同参画局『男女共同参画白書 令和2年版』
(※3)参考 ルース・シュウォーツ・コーワン著/高橋雄造訳『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』法政大学出版局(2010年)
今日も私たちが家事で疲れ果てる理由
筆者には、この論に共感するポイントがありました。80年代生まれの筆者は、農村の四世代家族のもとに生まれ、まきで風呂を沸かし、近所の炭焼き小屋で作った木炭の堀りごたつで暖を取り、土足可能の「土間」で炊事と食事をするような、高度成長期以前の住環境で18年間暮らしました。
当時、家庭内で男性メンバーが担っていたまき割り、五衛門風呂の湯沸かし、木炭作りと、高齢メンバーと子どもが担っていた土間の掃き掃除や風呂の「たきつけ」用の小枝拾いなどの家事は、現代日本からほぼ消滅しました。
一方、女性メンバーが担っていた炊事・洗濯・掃除などの家事は、使う道具の性能が向上したものの、家庭の中に残り続けています。日用品の在庫調整などの、いわゆる「名もなき家事」や、ケア労働と密接に結びついた家事も同様です。中には省力化されたプロセスもありますが、鍛錬されたスキルと創造性のほか、家族の健康状態や嗜好を探るためのコミュニケーション能力と観察力も要する家事は、便利な機械では解決しがたいものがあります。
このような状況を踏まえて、前出の著者は
“今後数世代たっても、家事労働はなくならないであろう”
と述べています。たとえ家庭用の便利な機械の利便性が上がったとしても、です。シワやシミのない衣類、健康的な食事、カビや汚れのないバスルーム、ぬめりやニオイのない排水溝、片付いたリビングルームを毎日生み出すためには、終わりのない家事を伴い、今日も誰かを疲れさせています。
「嫌いな家事」と折り合いをつける5つの方法
以上のことから、一人ひとりが抱えている「死ぬほど嫌いな家事」の多くは、テクノロジーだけで解決することは難しく、形を変えて家庭の中に残り続けていくでしょう。
家事はしばしば担い手の心をひどくすり減らします。そうした事態を引き起こさないためには、「嫌いな家事」とどう折り合いをつけていくかを探ることが大切だと思います。現時点では、折り合いのつけ方として、以下の5つが考えられます。
・家族間で分担する
・家事のレベル・頻度を下げる
・部分的に外部サービスを活用する
・便利な家電・グッズで「ある程度」省力化する
・我慢してやり続ける
この5つの方法の組み合わせ方について、明確な答えを教えてくれるテクノロジーはありません。個々の家庭で答えを出す必要があります。快適に暮らすための家事で疲れ果てないためには「我慢してやり続ける」の割合は減らしたいですよね。
筆者個人の考えとしては、これまで「家族のためを思えば、やって当たり前」という暗黙の了解のもとに過重な負担を背負ってきた人が、嫌いな家事を「嫌い」と言えるようになったのだとしたら、疲弊しない家庭運営のための意義ある一歩だと思っています。
どんなに便利な機械やグッズがあっても、家事は「ゼロ」にはならない。この点を踏まえて、皆さんの家庭でも、大嫌いな家事との向き合い方について、家族とじっくり話し合ってみてほしいと思います。
ライター/北川和子 編集/木村志帆 藤島美香子
ライター