いくつもの壁を乗り越えながら働き続けた、均等法世代のリアル
絹川幸恵さんインタビュー【前編】
7月13日、世界経済フォーラム(WEF)が2022年版のジェンダーギャップ指数を発表しました。世界146ヵ国中日本は116位、相変わらずG7で最下位。政治分野は139位と最下位レベル、経済分野も121位と、どちらも際立って低い状況にあります。企業の女性役員登用率が10%以下という現状において、クオータ制などの導入もささやかれていますが、努力規定にとどまっています。
一方で、1986年に施行された男女雇用機会均等法後に入社した女性の諸先輩方が、ここ数年、役員や代表に就任し始めています。2017年にみずほ証券で女性初の役員に就いた絹川幸恵(きぬがわ・さちえ)さんも均等法第一世代のおひとり。現在は、みずほフィナンシャルグループの総合人材サービス会社の社長として活躍されています。
今回、ラシクでは、そんな絹川さんの歩みとともに、これまで立ちはだかった「壁」をどのように乗り越えてきたのか、また女性が働き続けるために必要な「自信」はどうすれば身につくのかについてお聞きしました。前後編でお伝えします。
働き続けるイメージのないまま育児休暇へ。初めて仕事の大切さを痛感
編集部:銀行に入行されたのが1988年ですから、女性として母として働き続ける大変さは
計り知れません。きっと今とはまた違ったご苦労があったと思います。どのような思いで仕事を続けてこられたのでしょうか?
みずほビジネスパートナー株式会社 代表取締役社長 絹川幸恵さん(以下、敬称略。絹川):私は入行当初、ずっと仕事を続けて将来は子育てと仕事を両立させよう、という思いはみじんもありませんでした。とはいえ、当時は男性と同じように就職できるか分からない時代だったので、「結婚しても子どもができても続けます!」とは言っていましたが、本音の部分では「それは無理だろう」と思っていました。
ところが、いざ仕事を始めてみると、目の前の仕事がどんどん楽しくなってきて、気付けば男性社員と同じようにバリバリ働いていました。20代はとにかく結果を出し続けた日々でしたね。
編集部:30歳目前にして結婚・出産を経験されていますが、そのときはどのように乗り越えられたのでしょうか?
絹川:上司に「子どもができました」と報告しましたら、周囲が急に慌てだしまして…。私が妊娠するなんて想定していなかったのでしょう。上司から、「とりあえず2日間時間がほしい」と言われ、2日後に再び面談することに。その間、上司は育児休業制度のことを調べてくださっていて、後日面談の際、「わが社にはこうした制度あるので、仕事を続けませんか?」と提案してくれたのです。
編集部:上司の方も絹川さんに仕事を続けてもらいたかったのですね!
絹川:そこについては非常にうれしかったのですが、大変なのは目に見えていました。とりあえず育休を取得してみてしんどかったら辞めればいいか、と軽く考えることにしました。
でも、育休の間、ちょうど地下鉄サリン事件が起こり、一日中ワイドショーばかり見る日々が続いて…。「私、このままではダメになる!」と思うようになりました。同時に、自分にとって仕事がどれだけ大切なものだったかを痛感させられたのです。
息子の入院で腹をくくった「自分がワクワクできる仕事で働き続けよう」
編集部:育休復帰後は、仕事を続けていく覚悟は揺るぎませんでしたか?
絹川:いいえ、ここでも大きな壁が立ちはだかりました。復帰半年後に、保育園に預けている間に息子が事故にあい、入院するという大事件が起きたのです。入院中、昼間は実家の母に付き添ってもらい、仕事が終わるとその足で病院へ駆けつけ病室で泊まり、また出勤するという日々が1ヵ月半続きました。
その時に「子どもは両親によって守られるべき存在なのに、そこまでしてなぜ私はなぜ働くのか」と葛藤し続けました。実家の母にも「仕事と子ども、どちらが大事なの」と詰め寄られて…。夫とも何度も相談し、自分でも悩みに悩み抜いた結果、私は仕事を続けるという結論に至りました。そして、「働くからには息子に胸を張って誇れる仕事をしよう」と心に決めました。
編集部:その結論に至った背景をもう少し教えていただけますか?
絹川:私にとって仕事はとても大切なもので、息子のせいで辞めてしまったら私も息子もきっと後悔する、私自身がハッピーじゃなければ家族もハッピーになれないんじゃないか、と思って。自分のためにも、息子のためにも、私自身がハッピーでいたい、そのためにも自分がワクワクできる仕事を続けようという結論に至ったのです。
編集部:働く意味をご自身の中で再定義されたのですね。
絹川:ですから、私のモチベーションの源は大好きな息子に「かっこいいママだと認めてもらいたい」というところにあります。悩んだ末に働くと決めたから、全力で仕事に向き合い社会のために役に立ちたい、卑怯なやり方はしたくない、そして常にワクワク仕事を楽しみたい。それが私のぶれない軸になっています。
編集部:そのモチベーション、とても素敵です。もう共感しかありません!
「効率良く働きたい」と思いながらも、周囲との折り合いをつける日々
編集部:いまでこそ社会的にワーク・ライフ・バランスが重視されていますが、当時は長時間労働が当たり前でした。ご自身の思いと現場との間にギャップは生じませんでしたか?
絹川:ありましたよ。キャリアアップを目指して働くなら夜中まで働くのが当然の時代でしたし、私自身も子どもができるまではそれが当たり前だと信じていました。でも、実際に私が子どものお迎えに夕方帰るようになって、「もっとコンパクトに働けるのに」と思うようになって。実際、働く時間は短くなっても以前と同じように成果は出せていました。
とはいえ、当時はこんなことが言える時代ではありませんでしたので、週に2〜3回ベビーシッターをお願いして残業し、周囲の男性社員たちとも歩調を合わせながら働きました。
編集部:自分が働きやすい環境をつくっておくためにも、そこへの配慮は必要だったのですね。
絹川:そうですね。でも、ありがたいことに、仕事も子育ても両方必死に頑張っている私を、当時の上司や先輩たち皆さんがすごく応援してくださいました。入院など物理的な大変さはありましたが、自分自身が母親であることによって仕事がしやすくなった部分も大いにありました。
編集部:育休復帰後はどういった仕事内容でしたか?
絹川:時間のコントロールがしやすい企画系の部署に7年ほど在籍し、部下も10人ほど抱える課長になっていました。この道で極めようと思っていた矢先に、当時の常務から「そろそろフロントに戻りませんか」と営業へ異動するお話をいただいたのです。
まさか、また最前線に戻るとは考えもしていませんでしたので驚きましたが、息子が小学校3年生になり両立もしやすくなったころでしたので引き受けました。しかも、これまで経験のなかった分野の営業部、それも部長に抜擢されたのです。
本当の意味での管理職を経験することで、次の転機へとつながった
編集部:未経験分野でのマネージャー昇格ということですが、また、想像もしていなかった壁が立ちはだかりましたね。
絹川:今までやってきた部署や仕事で昇格すれば今までの知識や経験を生かして組織をリードすることができますが、未経験の部署だとそうはいきません。部下の方がよく知っているし、実績もあるわけですから、頼るしかない。どうやったらチームメンバーが気持ちよく働けるか、何をサポートすればいいのか、みんなの力を最大限引き出すことだけを考えて取り組みました。得意ではない業務だったからこそ、管理職としてひと皮むけたと思います。自分の中で最も大きな壁を越えた瞬間でした。
編集部:管理者としてステージが上がることで、家事育児との両立に壁は生じませんでしたか?
絹川:それはありませんでした。家庭との両立でいうと、立場が上がれば上がるほど自分の時間をコントロールできるので、両立はグンとしやすくなりました。私自身、課長よりも部長になってからの方が、管理者としても家庭との両立においても本当に自分らしく進められましたから。偉くなればなるほど、子育てはしやすくなります。
編集部:それを聞いて勇気づけられる読者がどれだけいるでしょうか…!いま男女問わず、管理職になりたがらない人が多いと聞きますが、今のお話をうかがうと自分を成長させる意味でも、両立しやすい面でも引き受けた方がよさそうですね。
絹川:なんでも誘われたらもっと気軽に「やってみます!」と引き受けた方がいいですよ。上司の方や周囲の方が「この人ならやってくれそう」と期待して声をかけてくださっているので、あまり気負わずチャレンジしてみてください。もし、ダメだったら元の場所に戻ればいいのですから。女性は慎重になりすぎているのか、自信がないのか、「私なんて…」と過小評価してしまう方も多いので。そこは女性役員仲間たちともいつも話題に上がるのですが。
編集部:その働く女性の「自信」については後編で詳しくうかがいたいです。
後編に続きます
ロールモデルもイメージも持てない中、「自分がワクワクできる仕事をしよう」「子どもに誇れる仕事をしよう」この思いで走り続けてこられた絹川さん。今でこそウェルビーイングやワーク・ライフ・バランスといった考え方が重要視されていますが、実際に壁に当たり悩みながらも、自分が心地よいと思える答えを導き出されたのが、素晴らしいです。後半はキャリアについての考え方、そして女性たちの「自信」について深くお話しいただいていますので、こちらもお楽しみに。
プロフィール
絹川幸恵さん
みずほビジネスパートナー株式会社 代表取締役社長
1988年京都大学卒、同年現みずほ銀行に入行。支店勤務の後、マーケット部門に異動、バブル時代をディーリングルームで過ごす。1994年に現みずほ証券に異動、1995年に出産。育児休業から復帰後は企画業務等を担当。その後、本社の部長、支店長等を経て、2017年に執行役員名古屋支店長。営業担当役員を歴任後、2021年にみずほビジネスパートナー株式会社代表取締役社長に就任、現在に至る。
文・インタビュー:飯田 りえ
ライター