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2022.05.30 2023/02/15

家族の死がもたらした人生の転機
キャリアを手放し、新たな土地で始めた「自分らしい」生き方

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家族の死がもたらした人生の転機<br>キャリアを手放し、新たな土地で始めた「自分らしい」生き方

警視庁の捜査員として活躍した後、現在は秋田市の地域おこし協力隊として「移住定住コーディネーター」「ヨガ講師」の二足のわらじで地域づくりに取り組む重久愛(しげひさ・いつみ)さん。

当時、捜査員としてキャリアに邁進していた彼女は「家族の死」をきっかけに、人生を大きく変えるキャリアチェンジを決断します。管理職へのステップを踏み、仕事のやりがいを大切に生きていた彼女がキャリアを手放し、秋田市への移住に至るまでに経験した心情の変化とは? 「人は自分を守れないと人を守れない」と語る彼女の決断は、「自らの幸せ」と「他者の幸せ」についてあらためて気付きを与えてくれます。

過酷な現場で学んだ「人としての在り方」

高校卒業後は警視庁へ入庁し、捜査員としての道を進みました。性犯罪や薬物・殺人・外国人警備犯罪などの凶悪犯罪を取り締まるのが主な仕事でしたが、自分自身でいかに判断して動くかが常に問われるような環境でした。現場では、人権や人の命が関わるような判断を瞬時に行い、ときにはたったひとりで対応しなければならない場面も訪れます。そんな経験を通して「人は自分を守れないと人を守れないんだ」と、つくづく思い知らされました。どんな状況であっても自分の力でやり抜く覚悟みたいなものも、捜査員時代に養われたのかもしれません。

 

とはいえ、厳しい環境の中では悔しい思いもさまざま経験しました。しかし、どんな辛い状況も切り抜けられたのは、感情にフォーカスせず、「じゃあ、どうしたら乗り切れるのか」という解決策を常に全力で探していたからかもしれません。そしてひとりの人間としてどう判断し、行動するかが問われる中で、等身大の自分自身であることを常に意識していました。必要以上に自分をよく見せたり、逆に自分を卑下したりもしない。それこそ、警察といういわゆる男社会において、「女」というバイアスをかけられる場面はありましたが、私自身は「個人としてどう仕事をするか」ということにしか意識が向いていませんでした。

 

たとえば「お茶くみ」の仕事ひとつとっても、「女だからやらされている」と捉えるのではなく、「仕事の基礎としてやる」「上司が何をしているのかを観察する機会として捉える」というのも考え方のひとつ。仕事の意義を女だから男だからという観点で考えるのは、すごくもったいない気がします。だからこそ、年齢・性別という先入観を取り除いて、いろんな人の意見を聞き、考え方を取り入れることはずっと大切にしてきたことでした。物事をフラットに見るという姿勢も、警察という特殊な組織に身に置いてきたからこそ学んだ「人としての在り方」かもしれません。

結婚を機に秋田への移住を決断
弟の死が教えてくれた「誰かのために生きる人生」

捜査員としての仕事はやりがいもあり、先輩たちに育ててもらったおかげで、管理職としてのステップも踏むことができました。それでも13年間続けた仕事を辞め、夫の実家である秋田に移住した背景には、弟の死という人生における大きな出来事がありました。長男で4人きょうだいの末っ子にあたる弟は、実家の跡取りとなる予定でしたが、突然彼が海難事故に遭い亡くなったんです。結婚して2週間後、大晦日のことでした。夜中に連絡が入り、両親ともども現場にたどり着いたのは1日後のこと。そこで私は彼の検視を行いました。あまりに突然の出来事に両親も現実を受け止めきれず、さらに時間が経てば経つほど、わが子を失った事実にうちひしがれていく様子でした。

 

自分の好きな仕事を続ければ、家族の面倒を見られない——両親の笑顔を取り戻すためには何をすべきか、しばらく思い悩む日々を過ごしていました。そのとき、私の中に自然と湧き上がってきたのが、両親に「孫の顔を見せたい」という思いでした。しかし、これは誰に言われたわけでなく、私自身が自分の人生を考えて決断したことです。母は「弟の不幸のために、あなたの幸せを手放すことはない」と言ってくれていました。その言葉を自分なりに何度も考えましたが、やはりこの決断が自分にとっての正解なのだと確信するようになりました。これまでは自分自身のやりがいだけを追求してきたけれど、弟の死をきっかけに「家族の生きがい」を担う段階にきたのかなと。

 

そのとき、仕事は多忙を極め、ホルモンバランスもガタガタの状態。このまま続けていたら手に入るものも入らないと直感的に分かっていたので、同僚、仲間の反対をよそに、思い切って仕事を辞めることを決断しました。そして当時お付き合いしていた現在の夫との結婚を機に、彼の実家のある秋田への移住を決めました。

捜査員時代の洞察力がカギに…!?
見知らぬ土地で人を巻き込むために実践したこと

移住後まもなく妊娠し、両親には無事孫の顔を見せることができました。現在は地域おこし協力隊に着任し、移住定住コーディネーターとしての支援のほか、国際的なヨガの指導資格「全米ヨガアライアンス認定資格」を生かして、ヨガを活用したコミュニティづくりを行っています。しかし、すべての活動が順風満帆というわけではなく、紆余曲折の中、進んでいる感じです。

 

地域おこし協力隊としてイベントを開催するにあたっても、「前例がないから」と承認を得られないケースにはよく直面します。そこで諦めてしまうのは簡単なのですが、どうやったら開催までもっていけるかの調整にいつも奔走していますね。それぞれにキーパーソンとなる人物がいるので、彼らにアプローチしていくのですが、やはり自分のパッションばかりを話すのではなかなか相手には通じない。まず、相手のやってほしいことを受け入れ、コーディネーターとしてのミッションを優先的に遂行してからヨガの活動へうつるなど、相手にとっての配慮と利を意識しています。そのためにも、彼らが日頃大切にしていることや考え方を観察して、リサーチしておくことは欠かせません。まさに捜査員時代に培った哲学かもしれません。

 

捜査も必ず誰かの協力が必要になってきます。情報を得る際も、目撃者の方の貴重な時間をいただくわけですが、中には自分にはメリットがないからと協力していただけないケースもあります。そういう方々に対して、いかに協力を仰ぐかを学んできた経験が、見知らぬ土地でも人を巻き込むスキルとして生かせているのかもしれません。とにかく壁にぶち当たっても、「ひとつの成果を得るために通過しなきゃいけない道はひとつじゃない」と信じて、模索しながらも少しずつ前進している感じでしょうか。こんなふうに活動ができているのも、趣旨をご理解いただき、サポートしてくださっている職員さんや地域の方々のおかげだと感謝しています。

ヨガを通して「自分らしく生きる」ための手助けがしたい

捜査員時代は、人の死や欲望といった、暗くてドロドロしたものと常に隣り合わせの生活。一方で、事件によって人生が大きく変わってしまった人たちに寄り添う経験もしてきました。私生活でも早すぎる弟の死を経験したことで、あらためて自分の「生き方」と向き合うようになりました。

 

その中で、ライフワークとして続けてきたヨガは、いかに今ここにある生活を大切にしながら幸せな人生を送るか、という気付きを与えてくれたもの。そもそも私が初めてヨガに出会ったのは、捜査員として多忙な生活を送っていた時期でしたが、初めてヨガを体験したその日、瞑想を終えて目を開けると、鏡に映った自分自身の姿に衝撃を受けたんです。そこに映し出されていたのは、体のバランスが崩れ、顔色が悪い私自身の姿でした。それを見たとき、自分の偏った考えまでもが、心身のゆがみとして表に出てしまうんだと気付いたんです。始める前までは、ヨガのことを正直軽視していましたが、やはり心と体はリンクしているんだなとあらためて理解しましたね。

 

ヨガは、単にポーズが「うまくできる・できない」ではないんです。体の動きを通して己の中にある痛みやゆがみを知り、自分にとっての心地よさや幸せに思い至ること。「ポーズ」はその概念を知るためのひとつの練習方法であり、さらには不調のときに自分をコントロールし、外的要因や感情に左右されにくくなる術を知るためのもの。ヨガの行き着く先は「生き方そのもの」です。

たとえば、人生でやりたいことがあるけれど、家族との関係性の中でどんな選択をすればいいのか迷う日もあると思います。そんなとき、周りにも、自分の心の声にも耳を傾けながら、緩やかに尊重・同調しあいアサーティブに生きる発想に、ヨガは働きかけていきます。自分らしさや自分軸を見つけ、心地よく生活していくことは、「我」を通すこととは別なんですよね。

 

少しおこがましい言い方になるかもしれませんが、これからは「今ここにある幸せって何だろう」ということを一緒に考え、自分らしく生きる気付きにつながるお手伝いをできればと思っています。みんなが好きな人と「おいしいね」ってご飯を食べられるような、ささやかな幸せや心の豊かさ、そんな気付きも大切なことです。より多くの人が幸せに生きていく手段のひとつとして、ヨガで下支えをさせていただくことがこれからの目標です。

 

ライター/倉沢れい

ライター

倉沢れい

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