学生結婚と出産。「キャリアという側面では、20代は挫折だらけだった」
コラムニスト河崎環さんが語る「40代女」の面白さ
現在、多くの媒体で記事の執筆や連載を手がける河崎環さんは、学生結婚・出産をした後に、「お母さん」としてライターの仕事を開始した異例のキャリアの持ち主。
昨年、初めての単著「女子の生き様は顔に出る」(プレジデント社)を出版し、気鋭のコラムニストをして注目を集める河崎さんは「20代は挫折だらけだった」「40代は女性が一番輝ける時かもしれない」と語ります。
キャリアアップ、子育てとの両立やロールモデルの見つけ方など、働く女性の多くが抱える悩みを、ご自身の今までと照らし合わせながら、河崎さんらしい鋭い切り口で語ってもらいました。
バリバリのキャリアウーマンを思い描いていたところで学生結婚・出産。20代は挫折だらけだった
編集部:学生結婚・出産をされて、「お母さん」としてキャリアをスタートされたのですよね。結婚・出産当時はキャリアについてどのように考えていましたか?
河崎環さん(以下、敬称略。河崎):育った家庭の影響もあって、私自身はごりごりにキャリアを築いて、男性の稼ぎには頼らず、場合によっては自分が一家の稼ぎ頭になるという価値観が当たり前と思っていました。
しかし、いざ学生結婚・出産して専業主婦になると自分は完全に養われる立場になって、仕事のスキルもない。自分が今までなりたい、ならねばならないと信じてきたものの真逆にいるわけで、旦那のためにご飯を作ったり、子供のおむつを替えたりすることでしか自分の価値が生まれない、自分を正当化できないという現実を前にして膝から崩れ落ちるような想いでした。
毎日やることがなくて、娘も自分も飾り立てて有名私立幼稚園や習い事に通う中で、周りのお母さんたちと、自分の旦那がどうとか、親戚がどうとか持ち物がどうとかでマウンティングをするような日々を続けていたら完全にメンタルがやられてしまって、ある朝ベッドから起き上がれなくなってしまったんです。
ずっと天井を見つめながら、私は空っぽだ、今後の私の人生はこれを繰り返すだけなんだろうなーと思いました。
自分が頑張ってきたつもり、研ぎ澄ましていたつもりだったものは何だったんだろうって。
妊娠する前に一度合格したものの進学を諦めたニューヨークの大学でのMBAに未練があって、米国公認会計士(CPA)の資格を取ろうとわざわざシカゴまで受験しに行くんだけど受からない。「お母さん業」というのはキャリアとは認識されませんから、履歴書は途中から新卒無職の「空白」。挫折感ばかりの日々を送っていたところ、All Aboutに転職した大学の同級生が「どんなジャンルでもいいからうちで記事を書かないか」と声をかけてくれたんです。
何を書いてもいいと言われたのに、そこで私は「子育て」について書くことを選びました。
当時、私の年齢で子育てをしている人は少なかったし、毎日やっていることだから、結局自分にとってそれが一番興味のある分野だったんです。
そのかたわら、外で何かやりたいという気持ちもあったので学習塾や大学受験予備校での講師の仕事を二足のわらじで始め、キャリアをスタートしました。
「産み時」は結果論。いつ産むのがいいのかは自分が判断すること
編集部:子育てしながら仕事をすることに「制約」を感じることはありましたか?
河崎:もういっぱいありましたよ。
書くこと自体はいつでもどこでもできるけど、夜出られないことで、取材にいくとか、何かの会議に出るとか、誰かにお目にかかるとかが立ち消えになることがたくさんあって、そこで人脈を築くことができないのはものすごく悔しかったです。
今回書籍を出せるまでに16年かかったわけだけど、外に出られなくて、家で書くしかないとなるとどうしても世界が狭くなりますし。
だけど有難いことに、夫の海外転勤に家族で帯同して、周りの人も文化もガラっと変わったことで、一気に視野が広がりました。お母さんっていうエリアだけは保ちつつも、色んなものを見たり、色んな人に会ったり、色んなコミュニティに入ったりしながら得てきたものが大きくて、人生まるごと取材、みたいな感じですよ。
編集部:仕事に制約がかかるとか、両立できるのかという不安から結婚や出産に踏み切れないという女性の声を聞くこともありますが、最近よく耳にする「産み時」について感じることはありますか?迷っている女性に対してのメッセージがあればお願いします。
河崎:産み時って最終的にはその人が決めるもので、結果論に過ぎない。だから他人がアドバイスできる「適切な時期」なんて絶対ないって思います。
どのタイミングで来ようとも、その人がしんどいと思うタイプだったらいつ産んでもしんどいだろうし、逆に「いつでも来い」ってタイプだったらいつ来てもいいわけじゃないですか。
そもそも「産み時がいつか?」って最大公約数の解をみんなで考えたり語ったりすることがおかしいって思うんですよ。
海外のように、多様性の中で生きている人たちには、人種によっても、宗教的な背景によっても考え方が変わるから、「いつ産むか」というのはすごくセンシティブな話題なんです。たとえばカトリック教徒だったら中絶ができないから、それを公の前で一般論として話すことはとてもリスキーだし。
だけど、日本人はみんな同じという前提だから、産み時っていつ?って言うんだろうと思うんです。もっと言うと「いつ産むのがいいんですか」というよりも「いつ産むとしくじりませんか」っていうのが強い気がします。そんなに飛ぶのが怖いのかとは思いますね。
「ロールモデル」は自分でコラージュして作っていくもの
編集部:働く女性の間では、ロールモデルがいないという悩みもよく聞きますよね。
河崎:ロールモデルって、女性である必要もないんですよ。
男性だろうがどこの国の人だろうが、この人のこの部分を、あの人のあの部分を…と自分なりに切り貼りしてコラージュしてこんな風に生きていきたい、でいい。
ロールモデルにされている女性だって、結果的にその立場に行っただけで、ロールモデルになろうとして生きているわけじゃないだろうし。
ただ、ロールモデルがいないから、〇〇だからできないと言い続けていると、やらない理由を並べ続けるだけの生き方になってしまいますよね。
編集部:やる人、やらない人を分けるものって何でしょうか。
自分で捻出するものなのか、外部要因によるものなのか…。
河崎:私にも親や子供に迷惑をかけちゃいけない、そうまでして自分のやりたいことに向き合う自由はない、という勇気のない時代があったから、やらない理由を述べる時期は誰にでもあると思うんです。
ただ、たまたま周りの色んなピースがカチャカチャとうまく合って、「今このタイミングだったら私できる」ってときがあるはずだから、それは見逃してほしくないです。その時に自己肯定感がどういうレベルにあるかってことが大きいかもしれないですね。
女性は「分断」じゃなくて「回遊」する生き物。40代になるとみんな同じところに戻ってくる
編集部:同級生や友人と自分を比べてしまって…みたいな経験はありましたか?
河崎:同級生がキャリアを築いている中、私の社会との接点はリビングの窓しかなくて、世間に何も貢献できていない、みたいな時代もあったけど、友人たちとは仲良くしていましたね。
ただ、子供がいると夜出られないし、だけど会社勤めしている人は昼出てこれないし…となかなか時間が合わない時期もありました。
でも30代になると周りも結婚・出産してみんな私のエリアに入ってくるんですよ。
キャリアを築いている人と、結婚・出産をした人には越えられない川みたいなギャップがあると思っていたのに、友人たちがその川を渡ってきた!っていうのがすごく面白くて。
その頃から少しずつ「女性は分断されているわけじゃなくて、ステージがどういう風に変わるかなんだ、回遊しているんだ」と思うようになりました。
だから「私は今こっち側にいるけど、回遊しているんだから向こう側に行くこともできるんだ」って理解ができたんです。
子供が少し手が離れたら、少しずつキャリアを再開して産前にいた方にもう1回戻ることも可能だし、ずっとキャリアを積んでいた友人が40代で出産してこっち側に来ることもある。40代になると色んな意味での帳尻が合って、みんな同じテーブルに戻ってきたりするんだねって。
40代で出産した人たちは子供が小さくても、ある程度経済力がついてるから、子供を預けて飲みの場に出られる。40代女性はみんな、女として、人間として、職業人としてもリソースが豊かなんです。
それゆえに40代っていうのは自由度が高くて、女性にとって楽で、輝けるときなのかなって、今感じることでもありますよ。
現在、河崎さんの上のお嬢さんは二十歳。お嬢さんの大学進学が決まったときは河崎さんが「責任は果たした、これで私は自由に飛べる」と感じたターニングポイントの1つだったそう。
まだ私は娘が4歳で子育ての道のりも長くて心配事はたくさんありますが、河崎さんの話を聞いていると、私もこれからまだまだ飛べるチャンスがあるな、と不思議と自信がついた気がしました。
プロフィール
河崎 環さん
コラムニスト
1973年京都生まれ神奈川育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒。2000年より子育て、政治経済、時事、カルチャーなど多岐に渡る分野での記事・コラム執筆を続ける。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディアなどに多数寄稿、政府広報誌や行政白書にも参加する。20歳女子と11歳男子の母。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。
文・インタビュー:真貝 友香
ライター