「家族が自分らしく過ごせるため」の選択肢を提供したい
子育て・介護を当事者として経験したポピンズ取締役
ベビーシッターという言葉が一般的ではなかった30年前、仕事を続けながら子育てするためにわが子を預ける先がないことから、現在の社長が事業をスタートさせたのが株式会社ポピンズ。現在は、ベビーシッターなどの保育のサービスだけではなく、介護・看護ケアサービスに事業領域を広げています。
ポピンズが誕生するきっかけとなったのが、現社長の娘であり、取締役を務められている轟麻衣子さん。保育事業を行う企業人であり、ワーキングマザーに育てられ、自身もお母様と同じようにワーキングマザーとなり活躍されている轟さんに、様々な視点から保育や子育て・介護についてお話を伺いました。
英国での大学卒業直後に祖父が倒れ、祖母が入院
「祖父母のお世話をしたい」思いが家業に携わるきっかけに
編集部:ポピンズは轟さんのお母さまが立ち上げられました。もともとお母さまの事業を継承するという気持ちはあったのでしょうか。
轟 麻衣子さん(以下、敬称略。轟):はじめは意識していませんでした。私が2歳頃でしょうか、母がアナウンサーとして働き始めた時、当時はまだ預けるサービスがあまりなく苦労したようです。私は祖父母のもとで育ちながら母の働く姿を見てきました。その母の考えで、12歳のときに「世界を見ることが大事」とイギリスのボーディングスクールに単身留学をしました。
編集部:12歳でひとり海外へ留学とは大きな決断ですね。
轟:母は広い世界を見ることが必要だと考えてくれたんですね。実は私がポピンズに関わる直接のきっかけとなったのは、実は子育てではなく介護なんです。それまでもずっと私の世話をしてくれていた祖父母ですが、祖父は「日本人としての軸を失ってはならない」と心配し、12歳から大学卒業まで10年間、新聞の切り抜きを送り続けてくれたんです。だから私は日本の社会情勢を常に知る事ができ、日本語という語学も学び続けることができました。大学を卒業する時、「もう卒業だから新聞も終わりだね」と言われたのを覚えています。その直後に祖父が倒れ、そして祖母も入院をしました。その時がひとつの転換期で、これだけ私を大切にしてくれた祖父母を側でお世話したいと心の底から思ったのです。
帰国し祖父母のお世話をする中で、家族として寄り添う支援が日本ではまだまだ欠落していると実感しました。この体験は現在、ポピンズが行っている在宅での介護、看護師による在宅支援のナースケアサービスにも繋がっています。
子どもにとって大切なのは「誰から愛されたか」ではなく「どれだけの愛情を受けてきたか」
編集部:当時、母親が起業家である例は珍しかったと思いますが、お母さまの存在をどう感じていらっしゃいましたか?
轟:働いている・働いていないという区切りは特に意識していませんでしたね。
起業した母は大変な苦労をしたと後から知りましたし、実際に多忙でした。でもいつも笑顔なんです。ハッピーオーラがすごくって。事業に忙しい母とは週末しか会えないこともありましたが、一緒に過ごせる時は本が大好きだった私を連れて朝から図書館に行き、一緒に図書館のお子様ランチを食べてから自然公園へ行くのがお決まりのコースでした。私の中では幼少時代の幸せな思い出としてずっと残っています。
編集部:働く母として、ずっと笑顔でお子さんと接することができるなんてすごいことですよね。
轟:そうですよね、私自身、仕事も育児もしながら笑顔だけではいられません。子ども達にいろんな顔を見せちゃっていますもの(笑)。
でも、子どもに対する愛情では「誰から愛されたか」だけでなく、どれだけの愛情を受けてきたかが重要かなと思っています。
私たちは毎年ハーバードと共同で研究も行っておりますが、赤ちゃんとのやり取りはテニスラリーのようなもの、という話があります。赤ちゃんの目線、喃語や、手の動きひとつひとつが赤ちゃんからの発信、つまりテニスで言えばサービスです。そのボールを打ち返すのは必ずしも母親でなければいけない必要はない。親や祖父母、ベビーシッターや保育園の先生など、周囲の人がいかにそれに気づき、質の高いボールをどう打ち返すかというリターンのボールが大切なのです。
脳の回路が発達する過程は複雑ですが、これは先にお話しした「誰から愛されたか」だけでなく、どれだけの愛情を受けてきたか、どれだけ多くの人に見守られ愛されたか、が大切という考えと一致すると思います。
専門知識を持つ人に育児を手伝ってもらう選択肢を提供したい
編集部:ずっとイギリスで過ごされて、出産・子育て期を日本で過ごすことで、日本独自の子育て風習や無言のプレッシャーのようなものをより実感することがあると思いますが。
轟:出産時からすでに違いがありますね。例えば無痛分娩をしようと思った時に、日本では「苦しい思いをして産んでこそ母になれる」といった風潮もまだありますし、母子同室や母乳神話・3歳児神話も根強いです。でも3歳児神話の根拠や、「本当にママが全てやらなければいけないこと?」と考えると、そうでないことも多いんです。
私自身の経験から言うと、日本で出産後、完璧主義だった私は1ヶ月は日本の風習通りに赤ちゃんとずっと家にいて、2ヶ月後に初めてイギリスに戻りました。すると今度は猛烈な孤立感と孤独感に襲われたんです。外に出れなくなってしまっていました。今思うと、プチ産後鬱だったのかもしれません。
その時お世話になったのが、「マタニティナース」という、赤ちゃんのリズム付けや母子共にトータルケアをしてくれる専門家です。この方が母に寄り添いながら、赤ちゃんのリズムを整えてくれてミルクの量から寝かしつけの方法まで、ひとつずつ丁寧にフォローしてくれたのです。すると3ヶ月目には息子が夜の7時から朝の7時まで寝るようになり、私は夜、自分や主人との時間も持てるようになったのです。この経験が私にとってはものすごくありがたかったんですね。
日本でも最近は「産後ドゥーラ」などの取り組みがスタートしていますが、専門知識を持つ方に育児を手伝ってもらうのも選択肢のひとつだと思うんです。必要とする人にそういった選択肢がある、選べる、ということが大事なんですね。
日本ではまだまだ、今まで女性が担っていた役割を人にしてもらうことの抵抗感のようなものがありますが、先ほどのマタニティナースもナニーさんも、イギリスでは社会的地位があり、名門のスクールもあります。
「保育士資格」ありきではなく、多様性や専門性も尊重したい
編集部:日本では最近、保育士資格や待遇について話題となっていますが、ポピンズとしてはどのような考えをお持ちですか?
轟:保育士という資格ありき、になっている点は気になっていて、私は多様性も大切だと思っています。保育士資格以外の人もどんどん保育現場に参加してほしいのです。例えば弊社が運営する認証保育園では、音楽の専門家やアートの先生、幼稚園教諭、オリンピックを目指している選手などもいます。男性保育士もそうです。ポピンズは150人以上の男性保育士が在籍し、業界で最も多いんですよ。
保育士資格も重要ですが、弊社では素質を優先します。素質とは、感性とか経験値、人間力です。それは資格では推し量れないと思っています。
編集部:保育士さんのキャリアアップについてはどうお考えでいらっしゃいますか?
轟:お子さまを見守るだけでなく、未来の子どもを育てるという意識を持って、もっともっと勉強して頂きたいという思いはあります。他にもマネジメントに秀でているとか、コミュニケーション能力といったところも大切です。プロ意識を持って、キャリアアップをしていけば待遇や地位も高くなっていくというのが理想ですし、ポピンズでは実践もしています。
ですが、社会的観点でも仕組みを変えていかなくてはなりません。幼児教育の無償化についても様々な問題が山積みで、私たちも戦っている最中です。国が改善すべてき点も多く、それは直接保育士さんたちの地位に結びついています。
編集部:轟さんはポピンズの経営に携わっていらっしゃいますが、同時にワーキングマザーであり、働くお母さんの姿を見てきた子どもという当事者でもあります。そんな轟さんが、ポピンズで大切にしていることはなんでしょうか。
轟:「当事者意識=実体験」は私たちの強みだと思っています。ポピンズは、私の母の個人的な思い、産まれてからずっと手塩にかけて育ててきた私をどこに預けるかといった所からスタートしています。今年30周年を迎えるのですが、私自身がポピンズの腕の中で育った最初のひとりなわけです。まさに当事者の視点です。私が経験した祖父母のお世話も介護サービスにおいて、当事者の視点がきっかけとなっています。そしてこれからは乳幼児教育の中でグローバル教育の視点も強化する、これも私自身の経験に基づいています。
ベビーシッターではなくナニー(教育ベビーシッター)を育成しているのは、子どもを預かってただその一定時間見るという限定されたワンタイムではなく、家族の想いや考えを理解し、家族に寄り添うライフスタイルのサポートという視点で考えたいと思っているからです。
ポピンズが目指しているのは、家族の代わりになろうとしているのではなく、家族が温かく幸せに過ごせるように、側面から支える、色々なお手伝いをすることなのです。
ポピンズには理念や保育についての教科書はありますが、サービスのマニュアルはありません。私たちは命をお預かりします。お預かりするだけでなく、命を輝かせてご家族にお戻しする、命を育てるのは大変ですがそれをお手伝いし、保護者さまに寄り添いたいと願っています。
だから働くママたちに「ひとりで全部、背負い込まなくて大丈夫」と言いたい。私たちがお手伝いできるのですから。
優しいピンクのスーツ、柔らかな笑顔が印象的な轟さん。「家族から受けた愛」「家族への愛」が轟さんのキャリアもライフスタイルも支えているのだなと、温かな気持ちがまっすぐに伝わってきました。しなやかでありながら、そのたたずまいには凜とした強さも見え隠れし「命をお預かりし、耀かせてお戻しする」という言葉にポピンズという企業の理念もしっかりと見えてきたインタビューでした。
プロフィール
轟 麻衣子さん
株式会社ポピンズ 取締役
日本の小学校を卒業した後、12歳からイギリスの全寮制私立学校に単身留学し、ロンドン大学King's Collegeに入学。 2006年、INSEAD大学院にてMBA課程修了。大学ではフランス語と経営学を学び、フランスのソルボンヌ大学に1年留学。その後、金融―MERRILL LYNCH INTERNATIONAL (ロンドン勤務)、ラグジュアリーグッズーCHANEL (パリ・東京勤務),GRAFF DIAMOND Ltd (ロンドン勤務), DEBEERS DIAMOND JEWELLERS Ltd (ロンドン勤務)、25年間の海外生活(英・仏・シンガポール)を経て、2012年に日本に帰国。
1987年に母である中村紀子が設立した「働く女性を支援する」ポピンズに入社、2012年、取締役に就任。0歳からのグローバル教育を担うポピンズアクティブラーニングインターナショナルスクール代表理事を兼務。7才男児、5才女児、2児の母。
文・インタビュー:インタビュー(宮﨑晴美)・文(大橋礼)
ライター