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2023.05.17 2023/05/16

他人の物差しで生きる人生をやめた
地方移住で見つけた人生を自ら操縦する力

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他人の物差しで生きる人生をやめた<br>地方移住で見つけた人生を自ら操縦する力

神奈川県横浜市から香川県小豆島への子連れ移住を経て、現在は熊本県天草市で、パラレルワーカーとして多様な働き方を実現する筒井永英(つつい・のりえ)さん。規格外の柑橘を活用したベーグルと焼き菓子のECサイト販売のほか、ウェブメディアでの執筆・編集の仕事など、複数の仕事を組み合わせながら、型にはまらない自由なキャリアを確立しています。

しかし、かつては「他人の評価や世間の価値観で生きていた」と語る彼女。親に褒められ、周りの期待に応えることを軸に人生を選択してきたと話します。自らの生き方を変えるために選んだ地方移住、そして人生のマインドセットを大きく変化させる新しい暮らし方・働き方にたどりつくまでのライフストーリーをお届けします。

3.11をきっかけに
他人の価値基準で生きる「私」をやめた

国交省に勤めていたとき

「主体的な選択が人生を変える」——過去の自分にひと言声をかけられるなら、そう伝えてあげたいですね。大学卒業後、半導体の特許翻訳の仕事を経て、国土交通省の職員として働いていた私は、地方創生を志し入省したものの、巨大な組織の中でどこを向いて仕事をすればよいのか、すっかり見失っていました。明確な目標が持てず、誰のために仕事をしているのかも分からない日々。入省して1、2年後からすでに「このまま定年まで働けない」と焦りばかりを募らせていました。そんな日々を一変させたのが、東日本大震災でした。

当時、東北地方の太平洋沿岸部を襲う大津波の様子をテレビで見たとき、今までの自分の価値観がひっくり返るような気がしたんです。思えば、これまでの私の人生は、親に褒められるとか、周りから見て恥ずかしくないかとか、そんなことにとらわれて、人生の重要な決断を行うところがありました。でも、私がこれまで「価値の物差し」にしていたものには何の意味もないと、思い至ったんです。他人に認められるかどうかばかりを気にして、一生を終えて本当にいいのだろうか?震災を通して自分の人生を見つめ直したことがのちの移住につながっていきました。

スローライフへの憧れではなく
人生をサバイブするための地方移住

小豆島の海岸で子どもたちと

東日本大地震の影響で、首都圏でも計画停電が行われ、食料品や日用品の買い占めが起こりました。そんな状況を目の当たりして、「都会での暮らしは災害が起きたとき、リスクが高いのでは」と考えるように。物流がストップしてしまえば、都会で働いて多少お金を持っていたとしても、生き延びていけないのではないか。強い危機感を覚える中で、「いかなる状況でも生き抜いていける暮らしがしたい」と、地方移住を視野に入れ始めました。

そんなタイミングで出会ったのが、当時航空業界で働きながら、将来的に新規就農を志していた現在の夫でした。のちに私たちは人生のパートナーとなり、子どもにも恵まれることに。そして、出産からほどなくして夫から早期退職の相談を持ちかけられたことで、本格的に地方移住を考えるようになります。

2014年に生後2ヵ月の子どもを連れて関東を離れた後は小豆島へ。小豆島では、夫はオリーブ農家を手伝いながら就農の準備を進めていましたが、果樹栽培のチャンスを得たことから、2016年に熊本県天草市へ。夫はみかん農園と農家民宿を運営し、私は移住後にはじめた保険営業の仕事をしていました。

自分の枠から一歩踏み出すことで新しい私に出会えた

地元のコミュニティFM「みつばちラジオ」にも出演

しかし会社員でいる限り、思い描くキャリアやライフスタイルを実現することは難しいと感じるようになりました。そして保険会社を退職することに。自らの手でコントロールできる暮らしを求めて始めたのが、夫の農園から出る規格外の品種の柑橘を活用したベーグルと焼き菓子の製造・販売、そしてライターの仕事でした。

ベーグルと焼き菓子の製造・販売のアイデアは、天草にはハード系のパンがあまり売られていないこと、そこに夫の農園から出る規格外の柑橘と組み合わせたら、うまく活用できるのではないか?と考えたことから生まれました。移住者の目線から、“天草市にないもの”に着目したことが形になったという感じです。

未経験から始めたライターの仕事は、クラウドソーシングから。案件を寝る間も惜しんで取り組んだことで切り開いてきました。当時はとにかく書いて書いて、次の仕事へとつながるチャンスをつかんできました。今はようやく仕事も軌道にのり、次のステージへと一歩を踏み出しているところです。

移住してからの数年は、自分たちの暮らしを支えることが優先事項でしたが、ある程度生活がまわり始めると、ふと思ったんです。自分たちのことに終始するというのは、喜びややりがいといった意味でも限りがあるんだなと。かつての私は、どちらかといえば人付き合いにはクールな方でした。しかし、自分の想像の枠を超える楽しさを味わえるのは、他者と能動的に関わることからはじまるんですよね。誰かと関わり、物事に取り組んでいくからこそ、ひとりでは到達できない場所に行ける。

そんな大切なことに気づくことができたのも、付き合う人も生活環境も大きく変えた経験があったからだと思います。新たな土地での暮らしを通してまだ見ぬ自分と出会えたことは、私自身の可能性を広げるきっかけにもなりました。

いくつになっても人は変われる
そこに他人がいたらもっとおもしろい

みかん畑でご主人と

移住生活はすでに約9年。これまでの経験を通して伝えられるものがあるなら、それは「人はいくつになっても変われる」ということです。以前の私は、他人に認められたり周りの期待に応えたりすることに目を向けていたけれど、その小さな枠から離れて、「本当はどう生きたいのか?」というテーマに向き合い、自ら行動する力を身につけてきました。

そして今思うのは、どこで暮らしても、自分自身の考え方、行動次第で望む環境は築くことができるということです。たとえば、今いる半径数百メートルの世界の中では「合わない」と思うことがあるかもしれません。だけどそれは、小さな枠の中の現在地からしか世界が見えていないからではないでしょうか。それこそ今の時代はインターネットを通じて、人との関係を広げ、深めていくこともできるわけです。場所に縛られず、人とのつながり方を自ら選択していくこともできます。

だから、今の私はこの先「何をするか」よりも「誰とするか」にこだわっていたいと考えています。ひとりの人間が考えられることなんて限られているけれど、そこに他人がいたらもっとおもしろいですからね。自分の想像を超えた境地に行けるかもしれないし、そんな予測不能感を今は積極的に楽しんでいます。

そんな思いもあって、最近はオンラインコミュニティツールを使ってフリーランスやひとり社長の仲間とバーチャルオフィススペースの立ち上げを計画しています。ほどよい距離感を確保しながら、気が向いたときに仲間と雑談ができる——そんな空間を通して、新たなチャレンジや人との出会いを後押しできたら。単純に自分のやりたいことだけをやるのではなく、自分と相手のやりたいことの接点を見つけて、新しい何かを生み出せるような仕事や人間関係を、丁寧に築いていけたらいいな……なんて思っています。

ライター

倉沢れい

ライター

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