26歳で第1子出産!「今を頑張れば必ず次につながる」を体現した広報ワーママ
第1子出産時の母親の平均年齢は30.1歳(厚生労働省・平成23年人口動態調査より)。このことからもわかるように、近年、初産年齢が上がってきています。出産によりキャリアダウンしてしまうと考え、結婚はしていても妊娠に躊躇してしまう女性は少なくはありません。
そんなご時世のなか、26歳で第1子、27歳で第2子を出産し、昨年の4月に職場復帰したトレンダーズ株式会社の秋枝未来さん。1歳と3歳のお子さんの育児に追われながらも広報として着実にキャリアを積んでいる彼女に、若くして出産を決意した経緯から、子育てと仕事を両立するうえでの葛藤、将来の自分像まで伺いました。
大手レコード会社を退職後
27歳で2児の母親に
齋藤もともと子どもは早めに産もうと考えていたんですか?
秋枝さん(以下、敬称略)25歳で結婚したのですが、子どもは計画していたわけではないです。ただ、子どもを産むということを自分のなかで意識したきっかけは前職の大手レコード会社時代です。当時はものすごく忙しい日々でした。
そうなんですね。大手レコード会社はいつから?
秋枝新卒で入社しました。ドラマが好きで、広告会社やテレビ局でドラマ制作をしたいと思っていました。いくつか内定もいただいていたのですが、当時映像事業をやり始めたばかりで、ここで働きたいと思い入社を決めました。
当時はどんな生活だったのですか?
秋枝広告の営業をしていたのですが、毎日全力で働いていたなー、と今でも思いますね。アーティストやタレントをCMにキャスティングして、CMの内容を調整し、撮影し、世の中に出すことをしていました。丸一日お休みの日は夕方まで寝ている…そんな生活でした。仕事はとても楽しく、やりがいもあったのですが、自分で気づかぬうちに、体に不調が生じてしまいました。私自身はそんなに気にしていなかったのですが、「このままじゃ妊娠できないよ」とお医者さんに言われた時はショックを受けましたね。当時の私の性格は0か100かみたいな極端なところもあって、それがきっかけとなり「仕事を辞めて、1年くらいおやすみしたい」と思うようになりました。「ほかの部署で体調がよくなるまで今よりもスローペースで働いたら?」と上司から提案もしていただいたのですが、この会社にいるなら今の仕事がいい、と強く思っていたので辞めることにしました。
よく辞める決心をしましたね。バリバリ働いていると、辞めたらキャリアがそこでストップしちゃうと思ってしまいそうですが。
秋枝あまりそこは考えなかったですね。辞めなかったら、そのままその忙しい毎日を続けたいと思っていたと思うんです。自分を納得させるためにも一旦辞めて、また万全になったら何かやればいいって思ったんですよね。結局、期間をあけずに働き始めましたが…。
え!そうなんですか?
秋枝前職を辞めてすぐ、いまの会社から「うちにこないか?」と誘われ、お断りしていました。ちょうどその頃、結婚したてで、子どもも欲しいと思っていたのですぐに働く気にはなれなくて…。1年ぐらいは海外旅行などしながら、気ままに過ごしたいなと思っていました。その気持ちを当時の社長に正直に話すと、「正社員でなくても、パートやバイトでもいいから一旦入って、合わなかったら辞めたらいいよ」と言ってくださって。「そうか、合わなかったら辞めればいいのか!!」と思い、正社員で入社することにしました。
新規事業の営業として入社したのですが、初めから当時の新卒入社のメンバーを率いたチームのリーダーになりました。初めての業界で、わからないことばかりだったので、毎日必死でした。そして、入社して5日で妊娠していることが判明して(笑)。「はやい!」と驚かれましたが、産休・育休を取って戻ってきてね、と言っていただけて嬉しかったことを覚えています。それまで半年間、一生懸命頑張りました。
入社5日目に妊娠発覚は確かに早いですね(笑)、その後、2人目も続けて育休を取ることになったんですよね?
秋枝11月に1人目を産んで、0歳の入園で認可保育園に申し込みしましたが、残念ながら待機児童になりました。1年4ヶ月育休をとって、翌年の4月入園を目指し保活に再挑戦することに。保活はかなり頑張りました!区内の保育園を40件くらい見学にいき、認証保育園だけでも30件以上に申し込みをしましたね。保活については、ママ友のママ友が家に訪ねて来るぐらい、かなり詳しくなりました(笑)。認証保育園が決まって入れることになり、復帰できることを会社にも伝えていたのですが、その後第2子を妊娠していることがわかったんです。4月に復帰し、数ヶ月働くこともできたのですが、会社とも相談し、そのまま産休にはいることにしました。
そして、昨年の4月に復帰。復帰にあたって不安はありましたか?
秋枝性格なのだと思うのですが、あまり不安はなかった気がします。ただ、今までよりも大変なことは覚悟していたので、どんなに辛くても1年間は絶対に辞めずにがんばろう、と誓って復職しました。その思いがぶれないよう、復職したその日に、同じ部署のメンバー全員の前でも公言しました。下の子は0歳、上の子も2歳。まだ歩けない赤ちゃんと、自我が芽生え始めたばかりの子どもだったので、風邪をひいたり、熱を出したりすることも多く、毎日バタバタでした。
「私は、何やっているんだろう」と
子育てと仕事の両立に葛藤することも
齋藤復帰後の仕事内容は?
秋枝初の専任広報という立場で復帰することになりました。昨年から当社はメディア事業にも注力し始めました。それまでは広報を兼任でやっている者がいましたが、新しいメディアを3つリリースしたことで会社や会社の事業をPRすることが必要になりました。主な業務はプレスリリースを配信したり、メディアごとに掲載されたいテレビ番組や新聞などに売り込みをすることです。事業部のメンバーと相談しながら、様々な切り口を考え、個別にプロモーションをしています。また、採用活動にプラスになるようなインタビュー掲載、社内報の作成などもしています。
子育てと仕事の両立で悩むことはありますか?
秋枝復帰してからは、葛藤みたいなものがありましたね。仕事はなるべく会社で終わらせるようにしているのですが、メディアの方と調整している時は昼夜・休日問わず、電話がかかってきます。
仕事の電話の時に限って下の子に泣かれたり、上の子も「お腹空いた、お腹空いた」と話している横でお構いなしに言ってくるので、部屋に鍵をかけて電話をしていることもありました。
ある日、年末年始で忙しすぎて、料理をしている最中に電話がきて、火をつけたまま、いつもと同じように部屋にこもってしまった日があって…。電話中、子どもがすごく泣いているな〜と思い、電話を終わらせ部屋を出たら、お腹を空かせた下の子が台に乗って、グツグツのお鍋の近くに置いてあるバナナをとろうとしていて…。結果、何もなかったのですが、少し遅れたら大怪我していたかもしれないと思ったら、「私は何をしているんだろう」と落ち込みました。
ほかにも、下の子がジェルボールを食べてしまったり、転んで怪我をして夜間救急で傷口を縫ったり…。病気や怪我でひやっとすることが何度かあり、「私はなんてダメなんだ」と思う日もあります。
お子さんが無事で本当によかったですね。でも、帰宅後の電話を取らないと仕事に支障がでることもありますよね。
秋枝そうですね。私の場合、広報という職種柄、電話をとらないと成果にならない。電源を切っておくこともできますが、「そこで露出がきまるかも」って思うとでてしまう。
その気持ち、よくわかります。同じような悩みを持っているワーママは多いと思いますよ。
秋枝今日もやっちゃったな〜と反省することも多いですね。
復帰する時は、仕事と子育て50%ずつ、会社で仕事は終わらす、と思っていたのですが、メディア掲載がとれていくと楽しくて。仕事ってつらいことが9割だと思うのですが、残りの1割が楽しいから続けていけると思っていて。
その1割の楽しみのためには、時間をきっちり調整するのは私の仕事上、難しい気がしています。会社にも「17時以降は、難しいです」と伝えれば、「じゃあ、それでもできる仕事に変えよう」と言ってくれると思います。でも、それを自分自身が望んでいないんですよね。
いまは時短制度を利用しているんですよね?
秋枝はい。9時〜17時で働いています。当社はベンチャー企業ですが、一人ひとりが活躍するために、どんな働き方が良いのかを前向きに検討してくれる会社で、様々な働き方をしている人がいます。私の場合は、時短勤務ですが、裁量も与えられ、成果をだせば評価もしてもらえます。
将来の目標のために、
ボランティアの活動をスタート
齋藤若くしてお子さんを2人出産されたわけですが、今後のキャリアについてはどう考えていますか?
秋枝子どもの頃から、習い事でダンスをしていて、そのダンスで老人ホームや障害児の施設などに行き披露する機会がありました。その頃からずっと障害児施設で働きたいと思っていました。大学でも障害児教育を専攻していましたが、いざ就職を考えたときに、施設で働くのは40歳になってもできる、まずは社会に出て一般企業で働いてみたいと思い、結果、大手レコード会社へ入社し、今も直接は関係のない仕事をしています。
去年の秋頃に、広報になって毎日読むようになった日経新聞に国立成育医療研究センターという、自宅からも近い病院で「もみじの家事業」という重い病気で在宅ケアされている子どもとその家族が泊まれる施設を病院の横に作ったというニュースが載っていたんです。
将来、40歳くらいになったら、伊豆や熱海など東京からも近い土地に、重い病気を持つ子どもと家族が泊まれて、ある程度の医療設備や緊急のときはお医者さんがきてくれるような施設を自分で作るのでもいいし、そういう施設で働きたいなと思っていて。新聞で成育医療センターの記事を見たときに、自分が将来やりたいと思っていた事と近しい事をやるということを知り、「これは!」と思いすぐ電話したんです。「ボランティアなど関われることはないですか?」と。そしたら、丁度募集をしていて、この春からボランティア活動を始めることになりました。月1回くらいですが、自分がやりたいことにボランティアとして関われることになりました。
行動力がありますね。独身時代多忙で、いまも育児や家事仕事に追われていると、なかなか自分のやりたかったことを思い出せなくなったり、子供が成長してからと、あと回しになったりしそうですが…。
秋枝夫や母にも、いま子どもがまだ小さくてヒーヒー言っているのに、ボランティアなんてまだやらなくていいんじゃない?と初めは言われました。
でもこのボランティアの活動は自分がしたかったことだし、こんなチャンスなかなかないと思うんです!好きだから、そこが息抜きにもなるかもしれない。それに、仕事をしていたからこそ、自分の夢も忘れることなく、行動に移すことができたのだと思います。
そのボランティアは具体的にどんな活動なんですか?
秋枝まだ事業が始まったばかりなのでこれからなのですが、研修には参加しています。泊まりに来ている子どもと遊んだり、活動したり、一緒に泊まっている家族や子どものサポート業務ですね。
「もみじの家事業」は、国からの援助ではなく、寄付で運営されています。この事業について、まずは現場を1年くらい見て、私ができることであれば広報的なことにも今後関わっていけたらと思っています。この件でより広報という仕事へのモチベーションがあがりました。広報は、仕事だけでなく、ほかでも役立つスキルなんだなと気づくことができました。
今のお仕事が将来やりたいことに繋がっていきますね〜。そういう意味では若いうちに出産した結果、良かったと思いますか?
秋枝そうですね、40歳のときには子どもが10歳を超え、ある程度子育てもひと段落し、自分が思い描いていたやりたいことをできているかもなって思いますね。これから始まるボランティアは今後のための、ちいさな第1歩ですね。
「大手レコード会社で頑張っていたからこそ今がある。頑張っていたらちゃんと次に繋がっていくんだなって思いました」とインタビューの最後にそう話していた秋枝さん。将来を不安がるのではなく、今をしっかり生きて今ある仕事をしっかり頑張れば必ず次につながる・・・そんな言葉を体現しているような女性でした。そして、ちゃんと自らを振り返り、自分がこの先どうなりたいかというイメージをしっかりと持つことが大切だと感じました。それができる彼女だからこそ、描く未来像に自分で舵をきることができるのでないでしょうか。
プロフィール
トレンダーズ株式会社 秋枝 未来さん
文・インタビュー:川合貴子(文)・齋藤 有子(インタビュー)
ライター