被災地に、地域に根付く産業を。気仙椿ドリームプロジェクトとともに歩む9年間の女性起業家ストーリー

ラシク・インタビューvol.154

株式会社re:terra 代表取締役社長、一般社団法人AWSEN 代表理事 渡邉さやかさん

「人と人をつなぐ優しく持続的な事業を。東北から世界へ。」をスローガンに2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに生まれた『気仙椿ドリームプロジェクト』。被災地である気仙・三陸地域の「気仙椿」を使用した“気仙椿コスメ”を開発し、売り上げの一部を被災地の若者や女性の経済的自立支援や起業家教育に活用し、震災から9年たった現在も継続的な被災地支援を行なっています。そんな地域に根ざした新たな事業構築を目指し、本プロジェクトを立ち上げたのが、国内外の社会貢献事業に携わる社会起業家の渡邉さやかさんです。

3.11直後に被災地で事業開発を行おうと決断し、すぐさま被災地入りした彼女。
事業をカタチにするために日々奔走した当時の話から、現在一児の母となった渡邉さんの仕事観や家族への思いまで、震災から9年を経つたなかで生まれた彼女自身の変化と被災地のあれからをお伺いしました。

大切な人を突然失くした喪失感が
私を次の一歩へと突き動かした

編集部:東日本大震災を経て、被災地で事業開発をしようと決意したきっかけは何だったのでしょうか?

 

渡邉さやかさん(以下、敬称略、渡邉):もともと大学・大学院では国際協力について学んでいたこともあり、ゆくゆくは途上国支援活動などに携わることを将来の視野に入れていました。震災が起きた2011年は、前職のコンサルティング会社で働き出してちょうど4年目を迎えた年で、そろそろ新しいキャリアをスタートさせようと考えていた時期でもありました。東日本大震災はまさにそのタイミングで起きたのです。

かつて「災害後の地域における産業がいかに重要か」を学んでいた私は、被災地の経済活性のために何したい! と思い立ち、具体的なプランを考えるために2011年4月に被災地入りを果たしました。

 

編集部:被災地で事業開発をしようと決意することは決して容易ではなかったと思われます。その覚悟を後押ししたものはなんだったのでしょうか?

 

渡邉:実は震災の半年前に突然大切な人を失くす経験をしていました。その時は人生にも迷ったし、精神的にもすごく落ちました。ただそんな自分の姿が、突然大切な人をを亡くした被災地の方々の姿とどこか重なるところがあり、被災地支援への覚悟を後押ししてくれたように思います。

 

編集部:そんな辛い経験がおありだったのですね……

 

渡邉:このことは今までずっと言葉にできていませんでした。でも、無事に『気仙椿シリーズ』を世の中に送り出し、一段落ついて自分を見つめ直したときに、「大切な人を失くした喪失感が私を駆り立てていたんだな」と気づいたんです。東日本大震災で大切な人を突然失った方たちを見て、「私に何かできないだろうか」という想いに駆られたことが被災地での事業開発につながっていったんだと思います。

 

編集部:被災地支援はどんな形でスタートしたのですか?

 

渡邉:すぐに会社を辞めて被災地に行きました。4ヶ月ほどは避難所などでさまざまな方の話を聞いたり、できることをお手伝いしたりしました。でも思うように全然うまくいかなかったんです。

 

編集部:というと?

 

渡邉:「何かできないか」という想いが強すぎたんでしょうね。それがだんだんと「寄り添うだけじゃ意味がない」、「何かカタチにしなければならない」という呪縛に変わって。意地になって自分を追い込んでしまったのです。

 

編集部:それでも翌年2012年12月には最初の商品である「気仙椿ハンドクリーム」を商品化されていますよね!? どのようにして事業化にしていったのですか?

 

渡邉:日々模索するなかで「椿」で化粧品を作ろうという企画が生まれたのですが、事業を行う地域や協力者が見つかるまでは本当に紆余曲折ありまして…… 後に陸前高田の現地パートナーとなる石川製油所の石川さんからはなかなか正式に協力を得られず、何度も自宅に赴いてお話をしました。

石川製油所さんは震災による津波で建物も機械も流失し、後継者である息子さんも亡くされていました。石川さんの元には何度も通い、息子さんの仏壇に手を合わせさせて頂いて、色んな話をしていくうちに、震災からようやく1年経った頃、石川さんの口から本音を聞けるようになりました。「実は息子とは椿油を絞るだけはなく、新しい商品をやってもいいかなと思っていたんだよ」と。石川さんが「一緒にやろう」と正式に言ってくださったのは、初めて企画をお話してから10ヶ月ほど経った頃だと思います。

 

編集部:長い道のりでしたね。ちなみに、商品開発の資金はどうされたのですか?

 

渡邉:以前からお知り合いだったハリウッド化粧品の牛山社長に縁あってご協力頂くことができ、販売元となっていただきました。

9年を経て母になった私が見た被災地の現状

編集部:現在は開発した商品も安定供給され、海外の起業家支援のプロジェクトを手がけるなど社会起業家として活動の幅を広げていらっしゃる渡邉さんですが、プライベートではご自身の変化はありましたか?

 

渡邉:そうですね。やはり大きな変化といえば、結婚して子どもが生まれたことですね。

 

編集部:それは大きなライフイベントですよね! あれから9年という長い年月が過ぎ、渡邉さん自身もそして被災地も大きく変化しているかと思います。先日、お子さんを被災地連れていかれたそうですが、現地の様子はいかがでしたか?

 

渡邉:その時の滞在では色んな方とお会いして、ゆっくりお会いすることはできなかったのですが、椿事業の相談役として長年お世話になった高橋さんにお会いして、自分の近況報告をしたり陸前高田の現在を聞くことができました。

高橋さんいわく、現在陸前高田では「引きこもり」の問題を抱えており、潜在的に8,000人近い人が居ると言われているそうです。

震災後、故郷である陸前高田に戻ってきてビジネスをしたり、お店を開業するなど前向きに活動する人もいる一方で、職の少なさや震災の影響もあり社会に出て人とのコミュニケーションをとったりすることなどが難しく、働くことができない人たちが増えているそうなのです。

 

編集部:高橋さんから被災地の現状を聞いて、渡邉さん自身どのように感じましたか?

 

渡邉:8,000人という多くの人々が潜在的な引きこもりとなっている状態にとにかく驚きました。そして災害からの復興というものは、やはり時間がかかるものであり、多角的な対応が必要であることをそしてつくづく感じましたね。

 

編集部:滞在を通して、今後の取り組みへの意識は変わりましたか?

 

渡邉:そうですね。今回お会いした高橋さんとは「椿」を通した被災地支援を行っていますが、9年を経た被災地の現状を知り、今まで行っていた商品販売ということに加えて、多面的な被災地支援を実現すべく、陸前高田での活動も次のフェーズを目指していきたいと思いました。

育児を通して変わった仕事観。
肩の力を抜いて今やれることに向き合う

編集部:社会起業家として活躍しているなかで、出産を経て、仕事の仕方には変化が生まれましたか?

 

渡邉:一番の変化は肩の力が抜けて、以前よりも考え方がゆるくなりましたね。以前は、夜寝ないででも期日までにちゃんと仕事を仕上げてしまうタイプでしたが、今は「明後日まで本当に必要?」とよく見直して、ゆるっとスケジュールを組み直すようにしています。

あとは海外のコンサルティングの仕事も大幅に減らしました。なので、少し収入は減っていますが、その分長期視点で考えて勉強をしなくちゃなと思っています。2017年から大学院の博士課程に入ったので、40歳を超えたぐらいから研究者としても活動できるよう今は準備期間と捉えています。育児中だからこそ、視点を変えて今まで通り仕事ができない我慢期間を有効に使えるよう、自分のなかで整理するようにしていますね。

 

編集部:なるほど。すごく前向きな考え方ですね! ただ、出産後も仕事や勉強に打ち込むためには、やはり夫の協力や理解が重要になってくるかと思います。その点、夫婦関係において心がけていることはありますか?

 

渡邉:そうですね、やっぱり仕事の話をすることですね。それが一番必要だなと思っています。

妻が何にそれほど忙しくしているのか、ちゃんと口に出して伝えないと夫はなかなか気付かないものなんだと思います。私も以前、夫が私の忙しさをわかってくれないことにすごくイライラしたことがありました。でも彼の口から「何してるかよくわからないし……」って言われて、「そうだよな、わかんないよね」って納得したんです。そこから「なんでこの仕事をしてるのか」とか「今後どうしていきたいのか」という話を積極的にするようにしています。

 

編集部:夫婦の時間を確保するのはなかなか難しいと感じている方は多いと思います。そこはどう工夫されていますか?

 

渡邉:すごくわかります(笑) 私も子どもを寝かしつけているうちに寝落ちしちゃうことがほとんどで…… だから時々頑張って起きてテレビを見ながらポツポツ話をしたり、あと保育園のお迎えも2人で行く必要ないのにわざわざ一緒に行って車中15分くらい話したり、できる限りの努力はしています。

 

編集部:やはり努力は必要ですよね(笑)

 

渡邉:そうですね。夫とも「夫婦が仲良くいることが子どもの教育にとって一番いいことだよね」ってよく話しています。妻も夫もそれぞれがやりたいことを持って楽しそうにやっていることが子どもにとっても一番いいから、子どもを理由に諦めたりとかやめたりするのはよそうね、って。

だから子どもがいて仕事ができないことで、イライラして喧嘩することは本末転倒だなっていうのは夫婦の共通認識として持っています。

 

編集部:夫婦で同じ考えを共有することはすごく大切ですよね。素敵です! では最後にLAXIC読者にメッセージをお願いします。

 

渡邉:「子どものために」っていうのは、ときとして言い訳にもなりがちなので、そうならないようにママになっても好きなことをやり続けることはすごく大切だと思っています。その方が夫婦関係も風通しがよくなるし、一方的に我慢して不満を溜め込むという悪循環も生まれない。好きなことをしていると、夫や家族に対するありがたみをさらに実感しますしね(笑) ママが楽しく生きて、夫婦仲がいいことが子どもにとっても一番の教育だと思います!

 

編集部:ママになっても自分の人生を楽しむことは大切ですよね。渡邉さん、本日はありがとうございました!

人のために何かをするというのは、とても勇気がいることだとつくづく感じていました。例えば「誰かのため」が「自分のため」にすり替わっていたり、自分の「正しさ」が、相手の「正しさ」と決してイコールではなかったり、“人のため”ほど難しいことはないと…… 

今回渡邉さんを取材させていただいて感じたことは、“人のため”をこれほど真っ直ぐに実践している人がいるんだという感動と喜びでした。時間をかけて人と正直に向き合い、自分にも嘘をつかない。とことんまで考えて、答えを見つけることから逃げない。仕事でも子育てでも「できないこと」ばかりに目を向けて言い訳するよりも、できる理由を探して実現するための方法を見つけていく姿には、感心させられるばかりでした。

“自分の人生から逃げず、今できることから行動してみる”。今回はそんな母としての心構えを教えてもらったような気がします。

渡邉さやかさんプロフィール
株式会社re:terra 代表取締役社長 一般社団法人AWSEN 代表理事
長野県出身。 国際基督教大学アジア研究専攻。東京大学大学院「人間の安全保障」プログラム修了。 2017年4月より、慶應大学システムデザイン·マネジメント博士課程在学中。

ビジネスを通じて社会課題を解決できる仕組みを考えたいという想いから、2007年新卒としてIBMビジネスコンサルティングサービス(現日本IBM)に入社。新規事業策定、業務改善、CO2削減プロジェクト等に従事する一方 で、社内で環境や社会に関する(Green&Beyond)コミュニティリードを経験、プロボノ事業立ち上げにも参画。 2011年6月日本IBM退職。会社員時代より、プロボノとして米国 NPO法人コペルニクの日本支部立ち上げ参画や、NPO法人soket立ち上げに理事·事務局長として携わる。

独立後は、被災地での産業活性プロジェクトや、(特に中小企業の)途上国·新興国進出支援として、現在は東南アジアだけでなく、中東・中央アジア・アフリカにも関わる他、AWSEN(アジア女性社会起業家ネットワーク)を通じて女性社会起業家支援に尽力している。

2013年、2014年日経ソーシャルイニシアティブ大賞ファイナリスト。 2015年The Entrepreneur Japan Awardファイナリスト。2017年より日経ソーシャルビジネスコンテスト アドバイザリーボード。2018年度は、内閣府「アジア・太平洋輝く女性の交流事業」委員を務める。
NPO法人ミラツク理事、一般社団法人BoP Business Network Japan理事、一般社団法人Women Help Women理事など。
宮城大学非常勤講師、長野県立大学非常勤講師。
HP:re:terra(リテラ)

ワーママを、楽しく。LAXIC

文・インタビュー:倉沢れい

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