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2023.01.31 2023/02/22

大企業での経験を糧に、地域おこし協力隊としていざ帰還
今、見据える先にあるものとは

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大企業での経験を糧に、地域おこし協力隊としていざ帰還<br>今、見据える先にあるものとは

山形県の南西部に位置する飯豊町(いいでまち)は、面積の約84%を森林が占める緑豊かな町で、現在約6,500人の人々が暮らしています。「この町は可能性にあふれている」とまっすぐな目で語るのは、地域おこし協力隊として活動する後藤武蔵(ごとう・むさし)さんです。

後藤さんは飯豊町の出身で、31歳。大学進学を機に故郷を離れ、大企業で勤務した経験もあります。後藤さんはなぜ地元に帰還し、地域に密着した仕事をしているのでしょうか。自身を突き動かす思いや、地域ならではの働きがいについてお話をうかがいました。

問題意識の芽生えは高校生のとき
通学中に感じた「飯豊町のポテンシャル」

後藤武蔵さん

僕が生まれ育った飯豊町は、最上川の源流が流れ、荘厳な山々が連なる美しい町です。僕はこの町で、2021年から地域おこし協力隊として活動しながら、バイオマス発電(植物や動物の排せつ物など、有機物をエネルギー源として利用する発電)の起業に向けた準備を進めています。

飯豊町を離れたのは宮城県の大学に進学したときで、大学院までの6年間、木からエネルギーをつくり出す研究をしていました。卒業後に就職したのは、自動車メーカーです。実は就職前、「起業しよう」と考えてもいたのですが、学生を終えたばかりの僕にはまだ早いと感じ、「自分がいける最高峰の会社で力を付けよう」と就職活動を全力で頑張る方向に切り替えて、入社することができました。

その会社では、生産技術を担当する部署にエンジニアとして勤め、ブラジルへの1年半の出向を含め、6年間仕事に打ち込みました。数えきれないほどの失敗をして、怒涛の日々を過ごした6年間でしたが、ひとりの仕事人として大きく成長できたと思っています。会社に残ってさらに経験を積みたい気持ちは、もちろんありました。けれど「今が自分にとって、一番働ける時期だ」という思いの方が強くて、30歳を迎えた2021年、地域おこし協力隊として飯豊町に帰ってきました。

地元に戻ってきたのは、「飯豊町で起業がしたい」という目標が、自分の中にずっとあったからです。僕は高校生のとき、地元の田んぼや畑を横目に、隣の市にある高校まで自転車で通っていました。問題意識のようなものは、そのころから芽生えていた気がします。当時は、国の調査(※)で初めて、一般家庭でのパンの購入額が米の購入額を上回り、社会的に話題になっていた時期だったんです。
※参考:総務省『家計調査(家計収支編)』(2011年)

自転車通学をしていると、意識しなくても雄大な自然が目に飛び込んできます。「こんなに豊富な資源を、僕たちは生かしきれていないのではないだろうか」「もったいない」。田舎の収入の低さを漠然と感じていたこともあって、米や木などの資源からエネルギーをつくりたい、という思いが強くなっていきました。

地域おこし協力隊としてSDGs推進
「起業」の準備も着々と

地域の方向けのSDGs講座の様子

現在、僕が地域おこし協力隊として取り組んでいるのは、飯豊町に住む方々へのSDGsの普及推進です。2022年4月には活動の一環として、「くるくるSHOP」と名付けたリサイクルショップをオープンしました。使わなくなった物品を持ちこんでもらい、欲しい人に100円で買い取っていただくお店で、地域の中でモノをくるくると循環させて、ごみの削減や人と人の結び付きにつなげます。

小学生や中学生にSDGsとは何かを教えたり、町の広報誌内にSDGsに取り組んでいる身近な人を取り上げるコーナーを設置してもらったりもしています。SDGsにおいて大切なのは、目的や事例を学んだうえで、自分なりの取り組みを始めることだと思うんです。現在はその前段階として、「私たちってこんな場面でSDGsに関わっているんだ」という気づきを得られるようにアプローチしています。

地域おこし協力隊の活動と並行して、起業の準備も着々と進めているんです。今は、「再生可能エネルギーの地産地消」を掲げる地元の電力会社に関わりながら、発電事業について多角的に学んでいる最中です。ほかに、地元の山で林業に携わったりもしています。

地域に密着して働いていると、取り組んだことが町全体に積み上げられていくので、やりがいがあるんです。「地域のために」という方向さえしっかりしていれば、良い意味で何でもありなので、僕自身がやりたいことに挑戦しやすくもあります。

一方で、地方ならではの難しさを感じてもいます。特に痛感しているのは、明確な理由がないと物事が進みにくいこと。賃金の低さや、豪雪地帯であるがゆえの生活の難しさなどから、全国の自治体を客観的に見たとき、飯豊町に目を向ける人は少ないはずです。「地方っておもしろい」「豊富な資源を活用したい」といった思いがその人の中に生まれないと、行動につながりにくいんですよね。

そんな多様なやりがいと難しさがある地域の仕事で大切なのは、「採算性以外にも目を向ける」ことだと感じています。地域が活性化するには、「人が集まってくる」「そこにいる人が盛り上がっている」など、収益を得ること以外の要素も必要です。たとえば、教育のため、環境のため。まずは自分が大切だと考えることにどんどん取り組んで、経験やつながりが積み重なったその先に、採算が取れる状態があってもいいんじゃないかなあって思っています。

地域の方々と接するときのキーワードは「一緒」に

若手メンバーでSDGsカードゲームを使った交流会

地域に密着して働く以上、コミュニケーションは毎日のように発生します。普段から自分より何歳も上の方と接する機会が多々ありますが、僕が大切にしているのは、「一緒に何かをする」ことと「丁寧に振る舞いすぎない」こと。木を切るときも、雪かきをするときも、とにかく一緒にするんです。実際に今は、初めて会ったときは身構えていた方々が、「おー、武蔵くん!」と、まるで同年代のように接してくださいます。

それに最近は、僕が前のめりで行動を起こすことで、飯豊町にいる若者の橋渡しになれてきている気もして。ひとりでできることって限られるけど、人と人がつながれば、リミッターが外れてできることはどんどん増える。そういった喜びを、日々実感しています。

個人的に、飯豊町では、以前大手企業にいたことなどは話さずに、あくまでひとりの地元民としてコミュニケーションを取ります。バックグラウンドに関係なく、良い意味で何も気にせずに接することができるのが、楽しくもありますね。

帰ってきたからこそ気がついた「町の魅力」もあって、飯豊町には、牛糞を使ったバイオガス発電所や、電池による地方創生に取り組む電池研究所などがあるんですよ。ほかの自治体では取り組んでいない分野に積極的に目を付けているんです。僕が知っている限り、ここまで画期的なチャレンジに前向きな自治体は少ないのではないでしょうか。今後は自分も関わって、実用性や継続性を高めるために貢献できたらと思います。

個人単位で、資源を生かした町の活性化にチャレンジしている人もいます。水没林をはじめとした町内の自然を生かして野外アクティビティを広げている方や、観光と山菜狩り、狩猟が複合した「新林業」を育もうとしている方。今はまだ初期段階だけど、これからの数年間でその人たちがつながって地域創生に取り組めば、個人的には、軽井沢にも匹敵するような土地になれる可能性があると思っているんです。

人が帰ってきたくなる地元を目指して
中学生に伝える「いつか一緒に働こう」

一緒に起業する仲間と

幅広く好奇心を抱いている僕ですが、今後も、チャレンジをひとつに絞るつもりはありません。効率性を重視するのであれば、ひとつの目標に集中したほうがいいとは思います。ただ僕は、高校時代から見据えていたバイオマス発電の起業はもちろん、飯豊町にはないカレー屋さんをオープンさせたり、くるくるSHOPにカフェを併設させたり、やりたいことにはどんどん挑戦したいんですよ。

挑戦数が増えるほど、巻き込める人数も増えますし、僕自身も多くの人と関わることができます。それが楽しみなんです。たとえば、10個の目標に挑戦したら、10個分のつながりやインプットが生まれて、それが連鎖的につながっていくと思います。つながりがどんどん広がれば、いずれ、自分にとって一番大きい目標が見つかるはずです。

とはいえ、やりたいことには共通した活動の軸があります。それは、飯豊町の資源を生かし、ヒト・モノ・カネを地産地消できるようにして、外に流れている無駄を減らすこと。さらにその先の未来として、人が帰ってきたくなる企業や仕事を、飯豊町に増やしたいと思っています。

「これからエネルギー会社をつくるから、10年後に一緒に働きましょう」。
地域おこし協力隊として中学生と接するとき、こう声をかけているんです。若者が胸を躍らせながら飯豊町に帰ってくることができるよう、僕は必ずこの夢を実現させます。

取材/文:ライター・紺野天地

ライター

紺野天地

ライター、文筆家

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