子どもの病気、トラブル。母親として「失敗した」と思うとき、
どうしてこんなに落ち込むのか

子どもが病気になるたびに、保育園や学校からトラブルの連絡を受けるたびに、自分でも驚くほど落ち込むことはありませんか?

ある日、私の友人がこんなことを呟きました。

「仕事の失敗はこれまで何度も切り抜けてきた。

でも、子どものことになると自信をなくして落ち込んでしまう。

全人格を否定されるほどの失敗をしてしまったような気持ちになる」

 

母親として「失敗した」と思うとき、なぜこんなに私たちの心は揺さぶられるのでしょうか。

そこには「親だから」の一言では片づけられない、社会の変化が影響しています。

今回は、「アイデンティティ」という観点からこのことについて考えてみたいと思います。

女性のアイデンティティは
「関係性の成熟」によって発達する

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「あなたは今、自分のために子育てしている」

こんなことを誰かに言われたらびっくりしそうですが、実はこれ、私たちのアイデンティティにとっては自然なことなのです。

 

女性のアイデンティティ発達を研究してきた岡本祐子教授(広島大学)によると、女性は30歳代から40歳代ぐらいまでは、仕事はもちろん子育ても「私個人の生き方を支えるもの」ととらえて、「個性を活かせるか」「達成感を感じるか」という観点で見る傾向があるそうです。

 

これだけ見ると「女性はわがまま」と言われそうですが、女性は男性と比べるとずっと「周りを気にしながら生きる」一生なのです。

 

発達心理学者のエリクソンは、人間の一生を8つの期間に分け、それぞれの時期に克服すべき課題があり、それを乗り越えることでアイデンティティは形成される、としました。

そして30歳代後半から60歳ごろとされる成人期には、仕事や子育てという「生産活動」において困難を乗り越えることが健全なアイデンティティ形成につながるとしました。

 

アイデンティティと聞くと、自分らしさ、私が私であるという自信、というようなイメージを持つと思います。

アイデンティティ形成には、こうした個性の発揮や自己実現という「個の確立」が重要なことはもちろんですが、もうひとつ、「他者との関係性の成熟」も重要です。これは、他者との調和・共存や社会への適応が可能になる、というものです。

 

「個の確立」と「関係性の成熟」、つまり、「自分を出すこと」と「周りとうまくやること」、時に矛盾するふたつのプロセスをたどりながら、誰もが人間として成熟していき、アイデンティティを形成します。

ただし、この二つのプロセスがアイデンティティ形成にどう関わっていくかには男女差があり、女性のアイデンティティは「関係性の成熟」によって発達する側面が男性よりも強いのです。

みんなから浮かないように気をつけながら自分を主張する、というスタイルでアイデンティティを模索するのは女性の方がずっと早く、女性は10代ぐらいからですが、男性は40代ぐらいになってからという傾向があります。

確かに中学・高校のときを思い出すと、男子と女子でそんな違いがありましたよね。

 

女性にとって、周りの人や社会との関係性は、年代により差はあるものの一生にわたってアイデンティティ発達に強く影響します。

なお男性の場合は、「関係性の成熟」とアイデンティティの関連性は一生を通じて女性よりも低く、「個の確立」の方が強く影響するそうです。

 

そんな女性が「個」を実感することでアイデンティティを形成しようとする唯一の時代。それが30歳代と40歳代なのです

これほど落ち込む原因は、”個”と”母親“
それぞれのアイデンティティが矛盾して存在すること

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男性も女性も子どもを育てることで「自分は親である」という自覚、つまり「親アイデンティティ」を獲得していきます。

もともと、他者との関係性がアイデンティティ発達に強く影響するという性質を持つ女性は、最も近い他者である人、つまり子どもとの関係に良くも悪くも大きく影響され、子どもとの間で感じる喜びや悲しみ、葛藤や矛盾を糧に「母親アイデンティティ」を育てていきます。

なお、これは俗に言われる「母性」ではありません。

 

そして現代では、この「母親アイデンティティ」が私たちの気持ちを大きく揺さぶるのです。

岡本教授は、現代の女性の多くがアイデンティティ形成と母親であることは別のものと考える傾向にあると指摘しています。

私らしくありたいという「個のアイデンティティ」と、母親であることを受け入れることで育っていく「母親アイデンティティ」。

現代を生きる私たちにとっては、「個」と「母親」、それぞれのアイデンティティは、矛盾する存在になっているのです。

 

女性が子育て中心の一生を送ることが当たり前とされていた時代、女性の子育て期は、個人的な達成感で満たされながら母親アイデンティティを育てていくという、アイデンティティ発達上とても安定した時代だと考えられてきました。

 

でも私たちはどうでしょうか。

子育てによる時間的・精神的な束縛感のために、アイデンティティ・クライシスを感じる母親が少なくないことがだんだん知られるようになってきました。

私も初めて母親になったとき、アイデンティティ・クライシスを経験し、そのときのエピソードと複雑な気持ちについては、以前「『私』はどこに行ったの? ママたちのアイデンティティ・クライシス」で書かせていただきましたが、程度の差はあっても、たくさんのママが「自分が自分でなくなる感じ」に戸惑った経験があるのではないでしょうか。

 

例えば、子どものお世話に追われているとき。

育児も大事なのはわかっているけど、同じ忙しさなら仕事して認められていたい。子どもはかわいいけれど、私が私だと確認できるような時間を過ごしたい。

そんな風に感じること、ありませんか?

「子育て」と「私らしさ」は別のもの

それが現代を生きる私たちの共通の感覚ではないでしょうか。

この感覚、どこから来るのでしょうか。

子育てぐらいできて当たり前?
私たちを惑わせる社会の変化

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それは、「個」を大切にする価値観と「子育て」の価値の低下です。

私もそうですが、いま子育てをしている方のほとんどは、「私らしさ」が自分の存在のベースであることが当たり前の社会の中で生きてきたと思います。

仕事も結婚も自分で選択することが当たり前で、むしろ、自分の考えをしっかり持ってと周りに言われてきたと思います。

SNSで「私らしさ」を表現することはもはや日常ですよね。

 

こうした「個のアイデンティティ」を大切にする価値観は、子どもが生まれたからといってすぐに変わることはなかったと思います。

でも「母親アイデンティティ」は、言ってみれば子どもと同じぐらいの年齢。生まれてそれほど時間も経っておらず、まだまだ未発達です。

「個のアイデンティティ」の方が、ずっと長くずっと強く「私」を支えているはずです。

 

さらに岡本教授は、現代女性に特有の状況についても触れています。

それは、効率化社会の子育て軽視の風潮です。

職場や学校で効率や生産性が重視され、日常生活においても同じ価値観が支配的になりつつある結果、「家庭の中のケア」という手間のかかる営みが軽視されるようになっているということです。

こうした状況により、「子どものお世話」という効果が出にくく評価もされにくい行為の価値は小さく見積もられるようになった、と指摘しています。

給料が発生しないからと家事が低く見られがちな風潮は感じたことがあると思いますが、今や「コスパが悪い」という理由で子育てが同じように位置づけられつつある、という指摘です。

 

確かに職場では効率化が進んでいますし、家庭でも、例えば食事作りや掃除、洗濯は自動化が時代の流れですよね。食器洗い乾燥機もお掃除ロボットも忙しい毎日では必須アイテムになったし、食事づくりも、カット済み食材から作り置きサービスまでレベルはいろいろですが、どんどん利用しやすくなっていることを実感します。

気が付くと仕事も家事も「早く効率的に成果を得る」というやり方を求めるようになっていますし、そうしないとただでさえ慌ただしい毎日がもっと大変になってしまうのですよね。

 

そんな日々のなか、もしかしたら私たちは、仕事や家事だけでなく育児においても効率的に成果を得られる方法があるという幻想を抱くようになっているのかもしれません

 

我が家では子どもが2歳になり、幼児教育の勧誘が増えてきたのですが、「今〇〇を始めないと将来はもっと大変になる」という言葉をよく目にします。

英語は耳がいい今のうちに、芸術は自由な表現ができる今のうちに。今始めなければ将来は何倍も時間がかかる、できる子に一生追いつけない…… などなど。

根拠に基づくものもあるのでしょうし、実際心が動かされるものもあるのですが、どこか「子どもが自分から習得しようとするのを待つなんて、非効率だと思っているんでしょ?」と心の中を見透かされているようで、心がざわつきます。

 

でも、毎日の子育てってどうでしょうか。

効率化で対応できないことの連続ですよね。

子どもの病気やトラブルは、一番大変で、手がかかって、そしてなにより心配なことです。

時間もかかる、手間もかかる、心を砕く。

その「非効率」な現実を目の前にしたとき、

「仕事はちゃんとできるのに、子育て『ぐらい』でつまづく自分への失望感」

を私たちは感じやすくなっている気がしませんか?

つい「仕事ができるのだから、育児ぐらいできなければ」とか、「非生産的な育児にかける時間がもったいない」と考えてしまう自分がいるのかもしれません。

それは、効率化や生産性を極端に重視する社会の中で子育てする私たちが感じやすい、独特の感情なのでしょう。

 

「個」が大切にされて、「子育て」の価値が小さくなる。

 

現代社会のこの流れのなかで、「個のアイデンティティ」が重視され「母親アイデンティティ」が軽視される現状につながっていると岡本教授は指摘しています。

母親アイデンティティを強く意識させられるとき、私たちは激しく動揺する

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アイデンティティには「私は、いつでもどこでも、ずっと同じ私である」という感覚(斉一性と一貫性・連続性)がその存在の基盤としてあります。

そのため、子どもの病気やトラブルなどのネガティブな理由によって、普段あまり光の当たることのない母親アイデンティティを意識させられるとき、私たちは突然、これまでの自分でなくなったような感覚になります。

 

私の友人は、子どもの高熱で病院に駆け込むたびに「自分の働き方(生き方)が間違っているのだろうか」と考えてしまうそうです。また別の友人は、「母親だって私の役割のひとつのはずなのに、子どものトラブルには自分のすべてが打ちのめされる気がする」と言っていました。

子どもの病気やトラブルに限らず、いろいろな場面で同じような気持ちを感じたことがあるという人は、実は多いのではないでしょうか。

 

もちろん職場への迷惑や自分の不注意を反省して落ち込むということもありますよね。

でも、自分のすべてを見直したくなるほどの気持ちになるとしたら、それはアイデンティティが揺らいでいるということなのです。

本当に自分の生き方が間違っているとか、働き方が子どもに影響しているとか、そういうこととは別で、人としても母親としても成長する途上にいる私たちが感じる当たり前の感情です。

「いい子育て」をする条件は時代によって変わっていく

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それでも、子育ては私たちを成長させてくれている。

そんなことを実感しませんか?

「子育てによる成長とは、自分と他人を受容できるようになること、そして自分の体験を他の人のために役立てようと考えられるようになること。」

先に紹介した岡本教授は、実証研究を通じてこのような結論を導いています。

 

実は、子どもを自分の分身のようにかわいがるのが母親であり母性だという世間のイメージとは違って、子育てをしない父親ほど「子どもは自分の分身だ」と思う気持ちが強い、という研究もあります(※1)。

思い通りにならない子どもを育てる毎日の中、いつしか子どもは自分とは違う人間であることを受け入れる。そしてそれでも自分の持てるものを注ぎ込む。

そうしたことができること自体、子育てを通じて得られる成長なのでしょう。

 

ただし、現代社会で子育てが人を成長させるためには条件があると岡本教授は指摘しています。

ひとつは、「個としての自分を大切にできること」もうひとつは「ケア役割を一人で抱えこまないこと」です。

 

「個としての自分を大切にできる」とは、打ち込める仕事や趣味の時間を確保できることです。ただしこれは、子どもを優しく適切にケアできるレベルに心を保てる自分になるためのものであり、子どもの存在を無視した自己中心的な活動ではないということも併せて指摘しています。

「ケア役割を一人で抱えこまない」とは、父親の育児参加はもちろん、保育園や一時預かり施設などの利用です。

つまり、やりたいことをすべて我慢して自己犠牲的に育児をするのではなく、自分らしさを確認しながらできる子育てが、子どもも親も成長させてくれる子育てです。

そしてそれが子どもにとっても良い環境を作ることになります

 

ときどき、「昔の母親は家事と育児だけの生活で、息抜きもなかった。今の母親はわがままだ。」というような批判を耳にすることがありますが、その頃と今では、育ってきた環境も違えば、社会が女性に求めるものも違っています。

団塊の世代よりも上の世代の女性にとって、母親であることとアイデンティティは強く結びついていました。女性の生き方の選択肢が狭かったため納得ずくで選んでいない人もたくさんいたのでしょうが、世間が母親役割を果たすことを求め、女性も「これが女の務め」と自らを納得させられる、そんな時代でした。

 

でも今は状況が違います。少子化が進み寿命が延びました。女性の生き方の選択肢が広がった一方で、働いて、産んで、育てるという様々な役割を同時にこなすことを社会から求められるようになりました。

ある生き方を選ぶことは、別の生き方を捨てることです。自分とは別の生き方をする女性を身近にまぶしく感じながら、子育てだけでは終わらない長い時間を生きていくという人生に変わりました。

こうした変化を受けて、多くの女性が母親役割だけでは自分のアイデンティティを支えきれなくなったのは、社会の変化によるごく自然な流れです。

 

(※1)柏木惠子・若松素子「「親となる」ことによる人格発達」(『発達心理学研究』1994年)

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子育ては「個のアイデンティティ」と「母親アイデンティティ」のぶつかり合い。

私はこのことを知ったとき、子育てをする限りこの矛盾を抱えていくのか…… と暗い気分になりました。

でも岡本教授によると、年齢が上がるにつれ、「母親アイデンティティ」が「個のアイデンティティ」と共に自分自身を支えてくれるようになるようです。

そして、仕事や子育てを自分の成功や充実感に結びつける40歳代を過ぎると、50歳ぐらいからは社会とのつながりや誰かに貢献できているという喜びとして受け止められるようになっていくそうです。

 

こうした、自分の心の中にある矛盾や複雑さを受け入れられること自体、育児による成長なのでしょう。

失敗しない仕事も病気をしない子どももいなければ、自分を貫くことだけで社会に受け入れられることもないのですよね。誰もが同じです。

 

よく言われる「仕事と育児の両立」や「ワークライフバランス」が目指すところの本質も、どちらも完璧にやり遂げるということではなく、こうした矛盾や複雑さが同居する自分を受け入れて前向きに仕事や育児に向かえることではないでしょうか。

 

私は私でいたいという気持ちと、母親として役割を果たしたいという気持ち。

思うようにはいかないけれど、矛盾する気持ちに自分なりに折り合いをつけ、自分を納得させる強さを持って、私たちは毎日子どもを育てています。

子どもの成長を喜ぶとき、私たちはもっと、成長できた自分を褒めてもいいのですね。

 

【参考文献】
・岡本祐子「女性の生涯発達とアイデンティティ」1999年、北大路書房
・柏木惠子「子どもが育つ条件」2008年、岩波新書
・柏木惠子・若松素子「『親となる』ことによる人格発達」発達心理学研究、1994年

キャリアカウンセラー小橋の「越えていこうよ、ワーママもやもや期」

小橋友美

小橋友美

米国CCE, Inc認定GCDF‐Japanキャリアカウンセラー
1979年香川県生まれ。お茶の水女子大学卒業後、銀行勤務を経て、2015年から
キャリアコンサルタントとして活動を始める。
採用実務経験を活かした若年層向けの就職支援を行う一方で、自分自身の子育て生活で実感した「ママが働くこと」に対する悩みを共に解決したいと考え、仕事も子育ても大切に毎日を過ごすためのママ向けキャリア支援活動を行っている。

「キャリアに自分らしさのエッセンス」https://ameblo.jp/careessence

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